肝心の子供/眼と太陽 (河出文庫)

「肝心の子供」

磯崎憲一郎著

 

(第44回文藝賞受賞作)

(河出書房新書)

 

ブッダ(シッダールタ)と、その息子のラーフラ、そして孫のテッィサ・メッテイヤの三代に及ぶ物語。

ブッダがまだシッダールタという名の王子だった時代。王子(ブッダ)は16歳の時に、婚礼にのぞむのに従者も連れずに一人で馬に乗って城を出て、やがて渓谷沿いの山道にさしかかるが、そこで見かけた一羽のサギが大きく嘴を開いたのを目撃し、焦点とそのまわりの景色が反転するという奇妙な感覚を持つ。鳥の口の中に、世界の方が入り込んでしまったかのような印象を受けたからだ。

その後、婚礼を終えたブッダだったが、彼の妃となったヤショダラは美しく、また頼もしい性格の持ち主で、貧しかった国に、それまでなかった稲作を取り入れて自ら実践して広めていき、ひたすら働き続けた。そんな妻の様子を、ブッタはネムの木のしたに座り込んで遠巻きに眺めているのだった。そして、妻の美しさの本質を知る。

やがて、そんな夫婦にも子供が出来るが、祝福に訪れたスッドーダナ王(ブッダの父)に、子供が束縛になるだろうと言うと、この否定的な言葉を父王は肯定的に置き換えて「ならばまさしくお前も、束縛とともに生きるように定められた!」と言い放つ。そして、孫の名をラーフラ(=束縛)と名付けて、悦に入るのだった。

ラーフラが三歳になろうかというある日、散歩に出かけた先の、神話絵巻に描かれた一場面のような風景の中で、蝶を追いかけているラーフラを見て、はっきりと自分とは独立した別個の人間として生きている息子を感じ、そのことに世界の盤石さを知った彼は、人生で唯一最大の仕事をもはや自分は成し終えたと思い、生の義務から解放されたと感じる。

その一年後、ブッダは出家したのだった。

その後は、残された妻(ヤショダラ)と息子ラーフラのかみ合わない生活が続く。

ラーフラは、目に映る日常の些末なことまでも、大概記憶し続けてしまう習性があり、それは「忘れる」という能力の欠落にあるようなのだが、物事を忘れられないだけでなく、ラーフラはモノ自体を(不用品や糞便に至るまで)捨てることが出来ないという症状があって、そのために母親と対立した。

そして、ついに城を一人出て行くことになるが、外の世界で、別れた父(ブッタ)と再会する。

ブッダは、多くの信者に囲まれる身となっていた。

この後、ラーフラはブッダの教団に入り、一行と行動を共にしながらも、知り合った少女サリアとの肉欲を捨てきれずに逢瀬を重ね、やがてテッィサ・メッテイヤという男の子が生まれることになります。

ブッダという、人類史上的に重要な人物からはじまる物語ですが、「家族三代記」ということや、全体として読んだ印象などが、『百年の孤独』(ガルシア・マルケス)に似ていると思いました。

『百年の孤独』では、ラストの崩壊で、「一族」そのものが一つの終焉を迎えると同時に、「一族」だけが「世界」から完全に切り離されて永遠に一つの輪となって繋がったという感覚を(私個人は)受けたのですが、この作品では、どうも親子間の繋がりが希薄で、それ以上に世界(宇宙的な存在での)との個々の繋がりが濃厚であるように感じました。

「肝心の子供」というのが、本質的に何を示しているのか、私には分かりにくかったです。宗教的な意味合いがそこにあるのか、それとも単純に「父性」としての息子愛なのか、もしくは息子側からの視点なのか、それよりもっと別な真意なのか、と悩んだのですが、冒頭の入り口から「世界」と「個」の視点の繋がり方を描いていることや、作中に散らばる自然描写の静謐さ(神聖さ)などから受ける印象から、「肝心」とは「世界そのもの、もしくは世界の核のようなもの」で、「子供」とは、「そこに存在する全ての命(あるいは物質?)」なのかな……と。

けれど、こういう主題的なものを云々というよりも、圧倒的に文章が上手いと感じたのが、正直なところです。その上手さにまさに「肝心な」何かを誤魔化されている、という気もします。

選考委員の角田光代さんは、

小説というかたちをとることで限定してしまいそうなものを、文章の力で開放している。この作者の文章には意志があり、描写力には力があり、幾度もはっとさせられた。(『文藝』2007年冬号 文藝賞選評より)

と述べられていて、そうか、真意など限定してしまう必要など、そもそもなかったんだな、と気づきました。

高橋源一郎さんは、

――(略)夢中になって読んだ。だが、それにも拘わらず(?)、核心と思える部分を指し示すことができなかった。つまり、それは「基幹部」を発見できなかったということだ。(同上より)

この文章の上手さに翻弄された人が、自分だけでなかったんだと思えて、ホッとしました。

選考委員の中では、保坂和志さんが、最も本作を高く評価されていたようです。

この作者は素晴らしい身体性を持ったボルヘスに違いない。(同上より)

なお、第44回文藝賞は、本作と並んで、丹下健太さんの「青色賛歌」も受賞されています。(→読書感想はこちら)