「公園」
萩世いをら(著)
(43回文藝賞受賞作)
(河出書房新社)
物語りは、公園からはじまる。
よく分からないが、大勢のヤンキーらしき団体に、ひたすら殴られ続けている二人の男がいて、またさらによく分からないが、それを助けにでも来たらしいチンピラらしき中年男が現れる。 主人公(「僕」)は、殴り続けている側の一人としてその場にはいるが、ただ傍観しているだけであるらしい。傍観しながら、ただ人間の殴られる音(肉の音)を聞いているのだ。 物語りは、このリンチ事件の発端までいったんは戻り、また公園のリンチ現場に戻ってくるが、すぐまた切り替わって一気に七年跳ぶ。 七年前を振り返っている僕は大学生で、再び公園にいる。 と思ったら、今度は喫茶店に移動して大学の友人の「オノサ」といる。 少しずれた感じのオノサとの他愛無い会話。 オノサと別れると、そこから夜になる。 今度は韓国人の友人イクヨンと会う。イクヨンは日本に遊びに来ていて、明日帰るという。イクヨンの叔母さんの焼肉屋へ二人で立ち寄る……。 |
……と、こんな感じに、物語はぶつ切り状態でどんどん展開していく。一様の流れはあって、世界は辻褄よく繋がっていて、物語もテンポよく転がっていく。
やがて、「ぼく」は、タクシーで「下田」までオノサを迎えに行くことになる。
タクシーは途中で下ろされて、いったん変な事件に巻き込まれることになるが、それでも無事、下田まで着いてオノサと合流すると、そこからまた何故か今度は「ニューヨーク」に向かうことになってしまう……。
【選評等】
選考委員の角田光代さんは、舞台がニューヨークに移ってからのエピソードが凡庸であると指摘されていて、
保坂和志さんは、最初のリンチシーンは不要であることや、他にも不要であるものがあって、けれどこれらは、作者が小説を書きだす上での助走として必要だったろうと斟酌されています(けれど、実際はない方が体裁が良いとも)。
高橋源一郎さんは、登場人物たちが、確たる動機ではなく「なんとなく」行動している、その「なんとなく」の中に、この小説の真価を認めているようです。選評の中で”すさまじくいい加減な小説”と言われているのは、もちろん褒め言葉だと思います。
藤沢周さんは、”こんな都合の良いプロットはあり得ないという自覚の下で書かれたメタフィクションともいえる”と評し、作者が世界を「張りぼて」と見立てた上で小説を展開していて、さらにその張りぼての向こうにある未知や虚無に対峙した主人公の眼差しや戸惑いにも言及しています。
※(上記選考委員のご意見は、『文藝』2006年冬号より 文藝賞選評 を引用及び参考にまとめさせて頂きました)
【個人的感想】
軽くて読みやすく、展開の面白い部分だけをざっと抽出して楽しませてくれる小説。その他の面倒な解説なし。段取り不要。という感じですが、どうもいい加減で薄っぺらい文章なのに、なぜか見えない重さを感じてしまいます。
一つ一つのエピソードがリアルで、通りすがっていくだけのような脇役的登場人物たちが多彩でユニークだったりして、妙に心に残りやすいというのも、魅力の一つだと思います。
※同時受賞作「ヘンリエッタ」(中山咲) →読書感想はこちら
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