ヘンリエッタ

「ヘンリエッタ」

中山咲著(第43回文藝賞受賞作)

(河出書房新書)

 

「ヘンリエッタ」という名前を持つその家は、いつも水のような空気が満ちている。「ヘンリエッタ」というのは、家主のあきえさんのおばあさんがつけた名前。

わたし(主人公=まなみ)は。この屋敷で、「あきえさん」と「みーさん」という二人の女と暮らしている。あきえさんとみーさんは働いていて、昼間、わたしは「ヘンリエッタ」と二人きり。時々、そこに「ヒロト」という不思議な少年もやってきて、話し相手になってくれる。

わたしの、密かな願望は、毎朝やってくる牛乳屋さんの謎を解き明かすこと。牛乳屋さんは、いつも玄関ドアの向こうで、「カチャン」「カタリ」「コツリ」といった音だけで存在していて、わたしはまだその姿を見たことがないのだ。なぜなら、わたしがドアを開けた時には、もう姿を消してしまっているから。

同居人のあきえさんやみーさんとは仲が良くて、二人ともわたしにはとても優しい。

みーさんはいつも片思いの恋を掛け持ちで幾つもしている人で、新しく好きな人が出来る度に、好きな人に似た魚を飼いだす。だから「ヘンリエッタ」にはたくさんの水槽があって、たくさんの魚が飼われている。

あきえさんにも、奇妙な習癖があって、他人の家から三輪車を勝手に盗んできては、それを屋敷内に積み重ねている。

そして、わたしにも大きな問題がある。徐々に解き明かされていく、わたしと「ヘンリエッタ」との出会い……。

現代の日本が舞台である物語りなのに、不思議と中世ヨーロッパのおとぎの森の雰囲気がします。

作者は当時17歳で、おそらく主人公もそれに近い年代なのでしょう。

登場人物の細かい描写や説明を敢えてしないという手法なので、あきえさんやみーさんの正確な年齢なども不明ですが、二人とも二十代後半くらいかな、と想像します。

けれど、この辺りはどう想像しても良いのだと思います。そいう余地を、読者は十分に与えられているのです。例えば、同年代であるかのようなあきえさんとみーさんが、親子ほど年が離れている可能性もあるわけで、すると物語のテイストも、また違って読めてきて面白いのではないでしょうか。

この作品の一番の特徴は、読み手の想像力を掻き立てるところにあるのだと思います。「音」というものに敏感で、音から風景や人物像などを想像させるという場面も多くあります。

選考委員の角田光代さんは、選評で、次のように述べています。

まず、作者の聴覚、耳のよさがすばらしいと思った。音というものをていねいに描き出すことで、光景を見せる。

(『文藝』2006年冬号 文藝賞選評より)

これに対して、保坂和志さんは、

小説というのは文章に対する独特の音感が必要で、それがわからない人は表面的な”文体”に気をとられたりして、いくら書いてもその音感が育たないのだが、音感がある人は簡単にそれができてしまう。「ヘンリエッタ」はその音感といくつかのひらめきだけで書けてしまったということだと思う。 (同上より)

と述べた上で、視覚的な要素を書かないことによって、この小説が維持されていると指摘しています。それでも、例えばあきえさんが盗んできた三輪車がどのように積み上げられていたのかや、みーさんの水槽の個数などは、ちゃんと書くべきではなかったか、とも言われています。

この辺りが、この小説の持っている持ち味であり、問題点でもあるようです。

高橋源一郎さんは、小説が人間より「家」を主役に置いていることに注目した上で、

文章よし、センスよし。だから、受賞作とするのになんの問題もない。 (同上より)

というご意見。

藤沢周さんは、

この作品の描線はコミックそのものだから、観察という残酷さをもって描写し、世界の破瓜を直視する時を迎えるのも必用だろうと思う。 (同上より)

とやや辛口に締めくくってはいますが、

二五〇枚の筆力と作者の夢心地の強度にうならされた。 (同上より)

とも評されています。

 

個人的には、想像力と音感の強さ、それに加えて構成のしっかりとした作品だと感じました。細部の文章そのものだけでなく、小説全体の捉え方や組み立て方自体が、緻密なプロットの積み上げというより、どこか直観力(もしくは音感力)のようなものでなされている気配がするのも、この作品の凄さではないでしょうか。

 

なお、第43回文藝賞は、本作と並んで、「公園」(荻世いをら)のダブル受賞です。

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【中山咲の他作品】

『東京宝石箱』(『文藝』2014年冬号に掲載)

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