「朝が止まる」淺川継太著
(『ある日の結婚』(講談社)に収録)
とても現代的で、センスのいい作品だと感じました。選評会では、安部公房や村上春樹の名前も飛び出したようです。所々に、微妙な形容詞がさしはさまれているのを選考委員の絲山秋子氏は陳腐だと指摘されていましたが、叙情的なものへの意識的な誘導であると個人的には感じました。
本作は、「二重目覚まし時計」という商品を売っている女と、毎朝通勤電車で会う「後姿の女」に恋をしている男、それぞれの独白調の語りが交互に展開する構成になっています。
女が売っている「二重目覚まし時計」というのは、一度目は通常の目覚ましとして鳴り、二度目に鳴る時は、それまで生きていた世界そのものから目覚めてしまう、という普通に考えて「あり得ない商品」です。女は、この商品の奇妙な性能についてそれほど信じてはいないにも関わらず、これを売りまくっていて、彼女にこれを販売させている会社の人間さえも売れるとは思っていないので、そんなものを売りまくる彼女は、本社の人間から不審がられてしまう、というちょっとコミカルでもある展開です。女が常に大事に持ち歩いている販売員の為のマニュアル本の内容が、あたかも聖典のように読めてしまうというのも面白く、「売る」と「買う」についての関係性の普遍的な次元までの皮肉が込められているようで、この辺のセンスが抜群だと感じました。
一方、「後姿の女」に恋をしている男の展開も変わっていて、男はある時より、電車から降りた女の朝の行動を尾行することになるのですが、どうしても彼女を見失ってしまいます。女は、男が一瞬目を離した隙に服装を替えてみたり、じっと目を離さずにいたのに、やはりどこかに消えてしまったりするのですが、ここの辺りの人物認識の倒錯の描き方が上手いと思いました。この視覚による人物認識の倒錯が、やがて「後方視覚」という全く新しい視覚を手に入れる所へとつながり、やがて「後方視覚」はさらに進化して……。
と、こういうストーリーであることを、ここでどんなに詳細に述べても、この小説の面白さを欠片も伝達できないというもどかしさを感じるばかりです。表面的なストーリーでは追えない、多次元的な魅力にあふれた作品なので、体感するにはやはり購読するしかないようです。
なお、当作品は『群像』2010年6月号に掲載されており、同じ号に同時受賞した野水陽介さんの「後悔さきにたたず」も掲載されています。
(『群像』2010年6月号)
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