「舞台」(講談社)
/西加奈子著
自意識過剰な青年「葉太」が、ひとりニューヨークに旅行で訪れ、セントラル・パークでパスポート等貴重品の入ったバッグを盗まれる、というお話です。
葉太の自意識の過剰さは筋金入りです。彼は余りにも自意識が強すぎて、何をしていても周りの目を意識せずにいられません。意識し始めると、どんな些細な行動(何気ない挨拶やちょっとした仕草まで)「他人からは演技しているように思われてしまう」と、思ってしまうわけなのです。葉太の自意識は自分だけにとどまらず、周囲にも飛びます。通行人が着ているTシャツのロゴや色までが気になってしまい、よくあんなものが着れるものだと鼻白らむ。自分は絶対に他人からそう思われたくないから、派手な色の服は着ない。女の子と性交するときにさえ自意識は働いてしまい、愛し合うという行為さえ、「演じ合うもの」というつまらないものになってしまう……。
彼は自意識にがんじがらめにされた人生を送っていて、常に周りの視線を感じてしまう。まさに、そんな彼の生きている世界は「舞台」なのです。
彼がこのような人間になってしまった背景には、作家だった父親との関係性があり、彼はこれを克服したいと本当は思っているようです。作品は、太宰治の『人間失格』に影響を受けているようで、主人公の名前も「葉太」「葉蔵」と似ているのも、小説中ではたまたまのように書かれていますが、かなり意識されているみたいです。
読みどころは、物語の中盤にパークでバックを盗まれてからの展開です。普通なら慌てたり叫んだりしますし、被害にあったことをしかるべき所(まずは大使館でしょうか)に訴えていくでしょうけど、自意識の強すぎる男、葉太には、こうした行為さえ他人の反応が気になるという性質が邪魔をして素直に出来ないのです。こうして葉太は、はじめて訪れた地、ニューヨークで、とんでもない状況に追い込まれていくのですが……。
後半からの面白さは、さすがは西加奈子さんだな、と感心しました。自意識の問題は、深刻さの差異はあっても誰でも抱えているものでしょう。これが強すぎると、人間ってこんなにも可笑しなことになってしまうんだな、というユーモアと恐怖を、物語り中に出てくる「幽霊」たちが象徴しているようです。