嘘を愛する女 (徳間文庫)

『噓を愛する女』《小説版》

岡部えつ(著)

(徳間文庫)

 

 

 

本作は、映画『噓を愛する女』の小説版として出版された、同名小説です。

大手食品メーカーに勤める由加利には、5年間同棲し結婚も考えていた恋人がいますが、相手の男(桔平)は結婚に前向きではありません。その彼が突然、くも膜下出血で倒れ、意識不明の状態になります。そこから彼が今まで由加利に語っていた職業も名前も身分証も、すべてが嘘だったということが明らかになります。彼が一体何者なのか、探偵の海原とともに、調査に乗り出す由加利でしたが……。

この物語には、元になった実話があって、1991年11月4日に朝日新聞が取り上げた、ある夫婦の身に本当に起こった事件の記事がそれです。

記事を読んで、衝撃を受けた映画監督の中江和仁さんが、そこから発想を受けて脚本を書くことになり、そして映画ができる、という次第だったようです。

着目したいのは、原作である映画の脚本を手掛けた人物と、小説版の作者は別人であるということ。

映画の脚本を手掛けたのは、監督である中江和仁さんと、近藤希実さんで、小説版である本作を書き下ろしたのは、小説家の岡部えつさんです。

映画の方は、残念ながらまだ観れてないのですが、小説版の本書を読む限り、非常に期待できると思いました。

映画と小説の相互性について、いつも感じてしまう事なのですが、映画と小説は同じ発想、同じテーマ、同じ登場人物やストーリー展開であったとしても、基本的には別物であるということです。

どちらが表現媒体としていいとか悪いとかいう問題ではなくて、表現方法の有り方そのもののどこかに、根本的に違っているものがある、という気がしますし、実際そうであるのだろうと思います。

ここを全く無視して、映画をそのまま(ものすごく単純に)活字化したものを小説版にしてしまったり、その逆をやってしまうと、どちらか一方は成功しているのに、もう一方は何となく物足りないとか、なんとなくつまらない作品に仕上がってしまうことも、多々あるかと思うのです。

あれ?映画では、小説では、あんなに面白かったのに……?? という経験をされたことがある方も、多いのではないでしょうか。

そういう意味では、映画の脚本を手掛けた人物と違う人物が、小説を手掛ける、それも小説を書く能力に秀でた人物が、新たに書き下ろす、というのは、物凄く理にかなっていて、間違いのない一つの形だと思います。

事実、小説版の『噓を愛する女』は、とても面白かった。読みごたえも十分でした。

おそらく、映画はまだ公開中だと思うので、これ以上のネタバレは差し控えさせてもらいますが、良質なミステリー小説を読ませてもらったな、という感想です。

そして、私の場合ですが、とても絶望的な暗い気持ちになったとき、良質なミステリー小説を読むと、なぜか心が癒されます。