リップヴァンウィンクルの花嫁

「リップヴァンウィンクルの花嫁」

岩井俊二著

(文藝春秋)

 

これまで、純文学系の作家による作品や文学新人賞の受賞作品を主に読んできましたが、少し気分転換も込めて、映画監督の書かれた作品である本作品に、注目してみました。

リップ・ヴァン・ウィンクル」というのは、作中にも説明が出てきますが、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングの短編に出てくる主人公の男です。アメリカ独立戦争から間もない頃、木樵のリップ・ヴァン・ウィンクルは深い森の奥に迷い込んで不思議な時間を過ごすのですが、目が覚めてみると20年ばかり時間が過ぎていて、アメリカは独立していた、というお話。「西洋版浦島太郎」などとも呼ばれているそうです。そんなリップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁って、どんなお話なのでしょうか?

派遣教員である七海(ななみ)は、恋愛に奥手だった。人が人とどういう成り行きでセックスする過程にいたるのかさえ、想像ができないほどに……。そんな彼女が心を解き放てる場所、それがプラネットというSNSのサイトだった。七海はそこで、クラムボンなるアカウント名を持ち、普段言えない想いを綴っていた。恋人の鉄也と出逢ったのも、このサイトだった。流されるように七海は鉄也との結婚を決める。結婚式に出席する親族友人の数が少ないと鉄也に指摘された七海は、「代理出席」というシステムがあることを知り、やはりSNSで知ったなんでも屋の「安室」にそれを依頼する。

そうして無事結婚式も終え、順調に新生活がスタートしたと思っていた七海だったが、夫の浮気疑惑が持ち上がり、生活は一変する。なんでも屋の安室に浮気調査を依頼していたのだが、そこへ鉄也の浮気相手の夫だと名乗る男が現れて、状況が変わる。鉄也の母親から、逆に七海の方が浮気しているのだと疑われる結果になってしまい、終には家を追い出されるのだった。結婚で仕事も辞めていた七海は、そこから生活の基盤を失くして彷徨うことになる。窮地に追い込まれた七海が助けを求めたのは、友人でも家族でもなく、SNSで知り合った安室。

安室の紹介で「代理親族」の仕事をもらい、なんとか役をこなす七海。そこへ安室は、今度はメイドの仕事をしないかと誘ってくる。一月の報酬額は100万円。なにか裏のありそうなヤバい感じの仕事ではあるか、もう一人同僚のメイドがいるというので、怪しいながらも引き受けてしまう。いざ出向いてみると、屋敷は豪邸だが、ゴミの掃きだめ状態。同僚のメイドは、以前「代理家族」の仕事を共にしたことのある、自称女優の女だった。

と、ここくらいまでは以前テレビでも紹介したストーリーの範囲内だと思うので、多少ネタバレ気味ではありますが、あらすじを書かせてもらいました。ネット社会の希薄さや希薄さゆえの気軽さ。けれど、本当にそれでいいのか? という疑問符の投げかけられた作品ではないでしょうか。

私はまだ映画版を観ていませんが、以前、角田光代さんがある文学賞の授賞式の会場で、「八日目の蝉」の映画版と自身の書かれた小説版の違いについて述べられているのを拝聴しました。

角田さんは、映画版では自分の書いたものと作品の主題の解釈が少し変わっていた。けれど、それはそれで良かった。小説版と映画版が、まったく同じものである必要はない。私の手から離れたものは、もう私の意志とは違う育ち方をする。そこがいい。という趣旨のことを述べられていたと記憶するのですが、私は気になってしまい、両方を鑑賞してみることにしました。確かに映画版も小説版も、どちらの「八日目の蝉」も、とても素晴らしい作品になっていました。

小説と映画の違いについて、岩井俊二という監督がどのような見解を持っているのか、映画版を観てもう一度再考してみたくなりました。