苦役列車 (新潮文庫)

「苦役列車」

西村賢太著

(第144回芥川賞受賞作)

 

 

芥川賞受賞の挨拶で、「そろそろ風俗に行こうと思っていた」などと言ってその個性を披露してみせた西村賢太ですが、その様子が本作品の主人公にも重なってきます。実際、「貫多」という主人公は、自身の投影なのでしょう。

父親が性犯罪者であるというコンプレックスのために、高校にも進学せず、安アパートに暮らし日雇い労働者として生活をしている19歳の貫多。人生の幸先を父親の犯罪歴で潰されたとして諦めに終始している感の貫多は、日雇いの仕事もサボりがちで、結果アパートの家賃は滞納し、たまに日雇いで稼いだ金も飲食と酒代、風俗代に費やして常に金欠の極致にいる。時々、さほどいい暮らしぶりでもない母親を訪ねては、奪うように金を巻き上げ、またそれを酒や遊びに使いこんでしまうという体たらくである。そんな貫多だが、ある瞬間、人生の不条理に気付く。

日雇い先に現れた新入りの専門学校生「日下部」との出逢いで、貫多の日常は好転する。相変わらずの自堕落ぶりではあったが、日下部を気に入った貫多は、彼に会いたいがために、サボりがちだった日雇いの仕事にほとんど毎日のように顔を出し、日下部との親交を深めていく。やがて図に乗って来た貫多は、仕事帰りの日下部を居酒屋に誘うくらいでは飽き足らなくなって、しきりと風俗に誘いはじめる。

貫多という人物の特徴、「自分本位」「それほど悪人ではないが、プライドは高い」「コンプレックスを持っているくせに(だからこそ)、他人の欠点には敏感」等々、実に人間臭い側面が叙述に現れていて、それでいて自分の気に入った日下部という男に対する純粋さが、妙に痛々しく浮き彫りになります。おそらく、日下部というのは貫多が本来ならこうなっていたか、或いはこうでありたかったと夢想する人物像に重なっているのでしょう。

この作品の良さは、まさに貫多という人間の持つ「人間臭さ」を余すところなく描き切っているところで、決して魅力的でも褒められた人間でもないに、なぜか引き込まれてしまします。

そこに持ってきて、洗練された好男子である日下部との対比の描き方が巧妙です。第三者の視点から描かれていますが、貫多の立場に立って概ね描かれているのに、「貫多=ダサイ」「日下部=カッコイイ」の図式をちゃんとぶれずにしていて、簡単なようですが、実はこういうスタンスはそう簡単には描き切れません。ここはかなりな技量だと思います。

さて、物語に戻ります。

貫多の方では、無二の親友くらいの感覚だったのに、どこか距離を持とうとする日下部の様子が気になるようにもなります。

ついに、恋人がいるから彼女の為にも風俗は行かない、と断られると、悔しくてたまらないという思いで酒を煽るのですが、日下部の恋人から適当に女の子を紹介してもらうという考えが浮かぶと、急に許してしまいます。

作戦を立て、野球好きの日下部に彼女と三人でナイター観戦する約束まで取り付けると、もう有頂天です。けれど、実際に日下部の恋人と三人で会ってみると、二人が二人して自分を見下しているのだということに気が付き、ナイター観戦後に立ち寄った店で酔いつぶれた彼は、日下部の前で彼の恋人に卑劣な言葉を投げつけてしまいます。

いよいよ日下部との関係を悪化させて、プライベートでの付き合いを拒絶された貫多は、仕事も休みがちになり、以前のままの貫多に逆戻りしていくのです。

そんなある日、日下部が日雇い仕事を辞めると貫多に告げ、挨拶がてら、以前に借していた金の支払いだけは、と釘をさされるのでした。

この時になって、貫多は日下部の小狡さと、自分の甘さや置かれた立場の無意味さを知り、とてつもない心細さを覚えるのでした。人生が延々と続く「苦役の従事」だと気づくわけです。

貫多はその夜深酒をし、それから出向いた日雇いの現場で、指導者的な立場の男と大喧嘩をしてしまい、結果金輪際出入り禁止を言い渡されてしまいます。

今まで最下層だと心のどこかでは馬鹿にしていた日雇いの仕事だったのに、それさえも自分は望んで得られない人間になってしまったと知って愕然となります。

全体として、「最低でとにかく救いようのない話」なのですが、一人の男が――それも、人生の出鼻をくじかれたせいで、そもそもあまり物事に頓着しなくなって生きていた男が――「シーシュポスの神話」的な思想感に到達するまでを描き切るという作業は、真似ようとして簡単に出来るものではありません。

主人公や作者自身が倫理的に最低であっても、それを偽りなく正直に書きとった本作品は、頭でっかちな机上の哲学論よりは貴重だと言えるでしょう。

ちなみに、この作品は前田敦子をヒロインにして映画化されています。主人公役は森山未來。映画版はオリジナルストーリーなのだそうで、原作ファンの賛否は分かれるようです。原作者すら映画版には色々と不満があるようだという一方で、非常にいい映画だとする声もあるみたいです。なにぶん、こちらはまだ観てないので、なんとも言えないのですが……。