『犬も食わない』 尾崎世界観(著) 千早茜(著) (新潮社)

30歳を目前にした福とその恋人大輔の何気ない日常を通して描かれる恋愛物語。

20代後半の男女の置かれている現実が、そもそも苦くて痛みを伴ったものであるということを踏まえた上で小説が書かれていて、主人公たちは、そこに苛立ちや反発は覚えながらも、どこか諦めの境地で程々の脱力感と共に生きている、その自然な感じがうまく捕らえられているな、と思いました。

福や大輔が時々自分たちの内なる怒りを言葉の爆弾にして炸裂させてしまい、衝突してしまうのに、本当の言いたいことは中々お互い言えなかったりするところのもどかしさなんか、読んだいて可愛らしい、人間らしい、おもしろいな、と思いました。

何より、この小説がいいなと感じるのは、この世代の人たちならではの苦しみがちゃんと書かれていたところかな、と思います。

愛情というものが、性欲と惰性の延長のような場所に、無造作に転がされてしまっているような、そんな感覚が小説の中にもありました。

愛するということそれ自体が、性や日常という若い男女が取り込まれてしまっている現実の壁の向こう側にあって、だから愛するって辛いし、痛みを伴ってしまうし、なかなか在りどころすら探し当てられなかったりするのです。

探し当てたところで、それは少ししか触われない、味わえない、そういう儚いものであるという感覚。

これは、性欲と本物の愛情との区別がつきにくい、若い肉体を持つ世代の男女特有の苦しみ方だろうと思います(もちろん、肉欲は年を重ねても尽きないものなのかもしれませんが、やはりいくらか変化するし、マイルドになっていくものだと思うので)。

小説は、男と女で書き手を変えるという形を取っていて、女性(福)のパーツを千早茜さんが担当し、男性(大輔)のパーツを尾崎世界観さんが担当しています。

私が好きだな、と思ったのは、尾崎世界観さんが担当した大輔の章のどこかに、日常生活に必要ないろんな物の在り処(収納場所)を敢えてきっちり決めたくない、何がどこにあるのかそんなにしっかり分からない方がいい、そんなスタンスの事が書かれていたところです。これは、お互いの感情の在り処、みたいなものにも置き換え可能な比喩にも取れるんですね。つまり、日常のことや男女のいざこざをあれこれ細かく書きながら、本当に書いているのは、文字には書かれることのないお互いの気持ち、だったりして、そういうものをあまり明確にしすぎない。大事だからこそ、敢えてぼかしたり、曖昧にしてしまってり、曖昧にならざるをえなかったり……と、そんな繊細さに満ちた一冊だったかな、と思います。

長く書いた割にあまり内容のあることが書けたという気がしません。とにかくいい本でした。私は尾崎世界観さんの創り出す音楽や映像の世界のファンですが、小説も好きです。以前初の小説本『祐介』の時は、あまりいい読書感想が書けなくて(酷すぎるので最近削除しました)、今回もあまりちゃんと書けた気がしません。ご本人が読んでくれたら嬉しいな、という気持ちでは書いてみたのですが……。

あと、千早茜さんの文章も良かったです。特に導入部となった最初の「いちごミルク」の回は、引き込まれました。