『今日の記念』
滝口悠生(著)
(『新潮』2017年3月号掲載)
妻(伊知子)と別れて8年。一人暮らしを続ける「私」は、誕生日の一月後、免許証の更新手続きを忘れていたために、免許が失効してしまっていたことに気が付く。
失効手続きのため、鮫洲の免許センターまで出向くことにする。 センターに向かう前に住民票をとりに寄った区役所で、書類を手にした若いカップルがやけに多いことに気付き、今日が11月22日、”いい夫婦の日”である、と知る。 |
孤独を抱えて都会で暮らす中年男の目線で描かれた短編小説ですが、滝口悠生さんらしい、優しさと人間愛に溢れた作品だと思います。
主人公の「私」は、自分でもそれほど意識していないようで、実はかなり別れた妻(伊知子)のことを引きずっています。
妻と出かけた思い出の地で撮った幾枚もの写真に、別の写真から切り抜いた妻の写真を張り付けて合成し、それらをアルバムにまとめて(しかもそのアルバムは何冊もあって)、押し入れに仕舞いこんでおり、時々取り出して眺める、というようなことをやっていたりします。
この、実に痛々しいような行為をする自分を、冷静に受け止めている「私」もいて、そこには男女の別れの哀しみというよりも、もっと深い孤独を抱え込んだ主人公の哀しみが、のぞき見えます。
そんな「私」ですが、以前、一晩だけアパートに泊めた女、「オノ」に、淡い恋情のような感覚を持っていて、それは、説明不能な「匂い」として表現されます。
「オノ」と、免許センターで再会したことが、「私」に少なからぬ変化をもたらしたようです。
少なくとも、区役所に立ち寄ったときには、”いい夫婦の日”に婚姻届けを出すカップルたちの背景の一部でしかなかった「私」が、ラストでは、「オノ」と夫婦であると間違われたまま記念写真におさまるくらいには、幸福に近づいています。
「恋愛」というより、人と人とが響きあい繋がりあうさまを、不器用に追い求めている気配がして、ちょっともどかしく、寂しいような、けれど温かい感情にもなる、そんな作品でした。