『燃えるスカートの少女』
エイミー・ベンダー(著)
/菅啓次郎(訳)
(角川文庫)
《孤独で冷たくて優しい毒》
本書を初めて読んだ時、あらゆる意味で裏切られていく感覚の心地よさのようなものを感じました。
人間から猿に、猿から海亀、そしてサンショウウオに、やがて……というように、生物が辿ってきた進化の過程を、物凄い速さで逆行していく恋人とそれを見送る主人公の話(『思い出す人』)もそうですが、”母親が祖母を産む”という突拍子もない展開を繰り広げる話(『マジパン』)や、町に住む突然変異の少女たち(一人は火の手を持ち、一人は氷の手を持つ!)の奇妙で切ない物語(『癒す人』)などなど、とにかく読み手の予測など遥かに遠く、独特な発想力に彩られた短編ばかりの作品集です。
初めて見る夢の世界を揺蕩うように、私はこの十六篇からなる恐ろしく奇妙奇天烈な短編集を読みつくしました。
中でも、特に心に強く焼き付いたのは、『溝への忘れもの』という作品でした。
唇を失くした状態で戦地から戻って来た夫を迎える妻の、赤裸々な心の葛藤を描いています。
戦火を潜り抜け、無事に戻って来た夫なのでしたが、ただし彼が唇を失くしてしまったせいで、妻は夫の帰還を心から喜ぶことができません。それどころか、彼女は深い喪失感のようなものに捕らわれてしまいます。
夫が失ったものは、唇という外面的なものだけでなく、かつてその部位がもたらした性の悦びであり、さらにその奥にある、夫婦を繋いでいた何かもっと大切なものだったようです。
戻って来たのに、毎日一緒に生活しているのに、もはや永遠に帰らない人になってしまった夫を恋い慕う妻。
その彼女が、夜中にひとりで庭に出て穴を掘り、そこにかつて戦地の夫に送るつもりだったセーターをそっと埋める場面があるのですが、この穴と、夫が唇を失くすことになったくだんの塹壕(溝)が、まるで時空を超えて繋がっているかのようです。
物語の終わりがけに、妻が眠っている夫にささやく一言があります。
”あなたに会いたい、でもお家ではすべて上手くいっている。”
なんて切なくて、それなのに確かな愛を感じる言葉なんだろうか。
エイミー・ベンダーの作品は、どこか寓話的にねじれているおかしな世界が表現されていますが、人間の心の底にある「寂しさ」というものには誠実だと思います。
そして、この「寂しさ」をなんとか癒そうとする毒のような力が働いていて、それを全体的に覆いつくす冷静さがあるのですが、さらにその先のずっと奥には、やはりとても人間染みた優しさと温もりを感じます。
それは、一見とても微かな地熱ほどの温度ですが、たぶん、ずっと奥まで近づいて行けば、きっとマグマほども沸騰しているんだろうな、と感じさせるほどの温度です。
実は、私がこの本を読むのは二度目です。一度目に読んだときよりも、もっと好きになりました。
それって、最初に読んだときの毒が、今頃に効いてきたような感覚なんです。
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