『春の庭』
柴崎友香(著)
(第151回芥川賞受賞作)
築31年で、近々取り壊しが決まったアパート(「ビューパレス サエキⅢ」)に、太郎が引っ越してきたのは、三年前だった。
住人たちの多くが既に出て行ってしまったので、アパートに残っているのは彼を含めて僅かな人間である。 そんなある日、二階に住む女(西)が、塀をよじ登って隣の家の敷地に侵入しようとしている現場を目撃してしまう。 事情を聞くと、西は、どうしても確かめたいことがあるのだと言う……。 |
芥川賞の選評でかなり好意的だった山田詠美さんは、”極めて目の良い小説家”という言葉で、作者を評しています。
目の良い書き手には、本来見えないものも映し出せる。いえ、映ってしまうので、文字として現象してしまうのである。柴崎さんは、そういう稀な小説家に思える。(『文藝春秋』2014年9月号 芥川賞選評より)
『春の庭』は、太郎を中心とする「ビューパレス サエキⅢ」の住人の物語りであるのですが、太郎の生活の中で自然に視界に入ってくるもの全て(建物、庭、庭の植物、虫、近所の家屋敷、光、風、空気……)に存在感があり、生命力を感じます。
これらは極めて視覚的に捉えられているのですが、同時に(物理的な)視覚の限界も捉えられています。
しかしそこで観察を止めるのではなく、そこから派生する自然な想像力が織りなす世界にまで、読者を連れて行ってくれます。
印象に残った一文に、
一度も見たことがないものを、自分はなぜあんなに鮮明に知っていたのだろう、と太郎はいぶかった。(『春の庭』より)
というのがあるのですが、これは初めて飛行機に乗った太郎が、旅客機の窓から雲の様子を見下ろしてみた時の感想です。
見えていないものを想像するということと、見えるものを見えるままに見るということ。
この二つは、全く違う次元のことのようで、実は同じことなのかもしれない。少なくともちゃんと繋がっていることなんだ、そんなことを、ふと考えてしまいました。
この作品の物語展開に、最も重要な意味を与えているものの一つに、「写真集」があります。
西が不法侵入を試みようとしたアパートの隣の屋敷は、その昔(西が高校生の頃)に出会った「春の庭」という写真集のモデルになった建物で、「牛島タロー」と「馬村かいこ」という有名人夫婦が暮らしていました。
写真集の出版から二十年も経ち、現在は住人も入れ替わっていますが、西はこの写真集に強い憧憬を持っています。
二十年という時を経た現在の屋敷の景色と、写真集の景色との対比が描かれていますが、この対比を捉えるのもまた、視覚であり、視覚がもたらす想像の力です。
過去に見た記憶の景色、過去に一度も見たことがないのに正確に想像し記憶していた景色、今見えている景色、今見えている景色から想像で補填しながら完成させた景色……。
この世界には、様々な視覚情報があり、それらがどこか渾沌としながら漠然とそこにあって、人間も自然の一部で、風景の一部なんだと、そういう当たり前の世界のことを、あえて文章化しようとした、そんな作品なんだと思いました。