『停電の夜に』
ジュンパ・ラヒリ著
(原題『病気の通訳』Interpreter of Maladies)
(小川高義訳/新潮社)
◇ピュリツァー賞受賞作◇(2000年4月)
「停電の夜に」初めての子供を死産した夫婦の危機。すれ違いばかりになった彼らだったが、停電の夜、ずっと心の中にしまっていた秘密を、打ち明け合う。
「ピルザダさんが食事に来たころ」アメリカ育ちの移民二世である主人公(わたし)が幼少のころ、両親と暮らす家に、パキスタン人のピルザダさんが、よく夕食に訪れた。 ピルザダさんは、内戦の渦中に家族を残し、国費で樹葉調査のため、単身アメリカに来ていた。遠く離れた家族を思うピルザダさんの気持ちを、わたしが理解したのは、ピルザダさんが故国に戻って何ヵ月かが過ぎ、その不在を噛み締めた時だった。
「病気の通訳」インドで観光タクシーの運転手をしているカパーシーは、若かった時代には野心を抱いて語学の勉強に励んだものだった。が、結局うだつのあがらない人生を歩んでしまった。観光タクシーの運転手の仕事の他にも、彼は医院で、グジャーラート語を話す患者の言葉を医者に通訳する仕事をしている。 タクシーの客としてアメリカ人一家を観光案内している時、その通訳の話をすると、客の「奥さん」が彼に特別な興味を示す。 この突然の展開に、若かりし頃の野心に似た心のときめきを覚えるカパーシーだったが……。 |
上の三篇他、全9篇からなる短篇集です。
原題にもなっている「病気の通訳」は、O・ヘンリー賞を受賞していて、同作が収録されている短篇集『停電の夜に』(原題は『病気の通訳』)は、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞他、と数々の賞を受賞しています。その上、新人の短篇集としては異例でもあるピュリツァー賞まで受賞しているというのは、ものすごい経歴と言えるでしょう。
ラヒリ自身はロンドン生まれですが、両親はカルカッタ出身のベンガル人で、幼少時に渡米して、以後アメリカでインド系二世として成長しました。
彼女の作品の中には、アメリカに移り住んだインド系移民の孤独や現実などが多く描かれ、彼女自身の経験や、また両親や知人といった近しい人々が投影されているような内容も多くあります。
派手な演出や展開こそありませんが、例えば夫婦のすれ違いを描いた『停電の夜に』をあげれば、本人さえ気づかず心の内にくすぶっている感情や闇を、繊細な観察力からなる丹念な文章であぶりだしていて、読みだすと引き込まれずにはいられない凄さがあります。
「ピルザダさんが食事に来たころ」や、上記には紹介していませんが、短篇の最後に収録された「三度目で最後の大陸」では、ある一時期の交流を織りなす人々の関係が描かれます。大仰な言葉も設定も一切使わない淡々としたタッチでありながら、そこにはドラマがあります。ただの他人でしかなかった人間同士が、やがて心を通わせていくドラマです。
その他にも、アメリカ社会で、異文化の生活に戸惑いと孤独を抱えながら生きるインド人の婦人と、少年の成長を描いた「セン夫人の家」や、病気のために学校に行けず普通に仕事にも就けなくて結婚も諦めるしかなかった女性の物語「ビビ・ハルダーの治療」など、社会的弱者を取り上げた作品もあります。
アメリカとインドと、二つの異なる文化の中で生きてきたラヒリの視点は、異文化が交わるところに派生する様々な問題や亀裂を冷静に捉えていて、国や宗教の違いだけでなく、人と人、男と女、といった、ごくどこにでもある関係性にも鋭く切り込んでいます。
同じ民族で同じ宗教を持つ人間同士、時に家族であっても、人と人は秘密を持ち合っていて、本来孤独な存在なのだという洞察があり、その上でもなお「人が人を思う」ということを描く。
そこが、とても素敵だと思いました。