「最後のうるう年」二瓶哲也著
(第115回文學界新人賞受賞作)
(『文學界』2012年12月号掲載)
親の介護を理由に九年間勤めた印刷会社を退職しようとしている男が、後輩の運転する車中から昔の同僚の姿を見かける。そこから男が、20年前を回想する、という物語です。
(以降ネタバレあり、注意)
男はかつて風俗業界に身を置いていて、この業界の特殊な仕事内容や人間関係といったものが上手く描写されています。最終候補作の中で、最も文章力を評価された作品でもあるようです。ただし、実はこの作品には、最後に視点が切り替わるという仕掛けが待っていて、ここはあまりよい評価を受けなかったようです。
回想中に、かつて作家を志していた同僚の「エバラ」という男が出てくるのですが、この「エバラ」こそがこの小説の主人公の正体で、かつて仲良くなった同僚の20年前の姿を、本人から聞いた話を元に想像した物語だった、という「オチ」のような反転を伴う展開になっているのです。
作者のがこのような反転を用いた真意は分かりませんが、読者を最後に驚かそうという単純な意図ではなかったように感じます。
こういう最後に物語を反転させてしまう仕掛けをするには、もっと周到で綿密な伏線や仕掛けが必要で、反転した後に物語世界がさらに広がりをみせるとか、それまでの世界を崩壊して新しい世界を出現させてくるとか、何かしらの衝撃が残らなければ意味がないと思うのですが(ミステリー作家の道尾秀介さんが、こうしたラストの衝撃反転を得意としています)、この作品が用意した伏線や仕掛けでは、そういったものは期待できません。というよりも、作者自身がそんなものを期待していないのだと思います。
作者は主人公を最後にすり替えることで、回想中で20年前の世界を生きていた一人の男(読者は彼をこそ主人公だと思い込んでいた)を、突然物語世界から消し去ってしまい、そこにある種の哀愁を醸しだそうとしたのではないか、と私個人は感じました。そして、この目論見はかなり成功していると思います。
選考委員の吉田修一さんは、
――思わず嫉妬してしまうほどの敗北感がこの作品には満ちている。(『文學界』2012年12月号 選評より)
と評しています。この吉田さんが言うところの「敗北感」が、ある種の哀愁を持って小説全編を貫いていて、それこそが本作品の最大の魅力ではないでしょうか。ラストは控えめにも、それを強める為に用意されたものだろう、というのが私の見解です。
ある種の感傷を「感傷そのもの」として書き上げることは、純文学では「致命的に痛い」ことに違いありませんから、そいうものを描くには、何らかの遠回りが必要な訳で、この作品は20年という時間を遡りながら、一人の男を生き生きと描き、その男の視点を借りる形で主人公の果たせなかった夢物語りを描いたのです。最後に正体を明かした時、夢物語と一緒に語り手だった男までが淡く消え去って、残るのはまさに20年分の「哀愁」です。
とにかく人物描写が上手く、何気ないちょっとした仕草や言動をさりげなく掬い取って書く、という作風は好感がもてました。花村萬月さんからは、文章の読みやすさをむしろ指摘されていました。
――これだけの文章を構築できるのだから、次作は読み手に引っかかりを与え、場合によっては読み返させるくらいの手管を考えてみてください。(上記同より)
文章が読みやすくて何がいけないのか、とは思いますが、そこはもっと極めれば深い世界なのだと、文学の世界の手ごわさを思い知らされます。