高尾長良(著)
(第44回新潮新人賞受賞作)
新潮社
物語りは、食べることへの強迫観念を抱えた女子高校生の赤猪子が、母親とのマレーシア旅行中に、友人ゾーイ―の手助けを得て逃亡を図るところから始まります。
拒食症の赤猪子は、食べることを恐れるあまり、母親の元を逃げ出すのです。そして逃げ込んだ友人ゾーイ―の元でも、やはり食べることを強制されて、なんとかそれを回避しようと足掻き続けます。
これは、本来「生」とは真逆の発想で、つまり拒食の先には「死」が待ち構えているはずなのですが、どういう訳か、食べることを拒み続けることに、赤猪子は不思議な生命力を発揮し続けます。この物語の面白い所は、まさにこの辺りの反転にあるのではないでしょうか。食べるという営みを強烈に拒絶することで、結局食べることから逃げられない生物の本質が、グロテスクに浮き彫りにされています。
「赤猪子」という名前も奇妙ですが、雄略天皇にまつわる故事で、若いころに天皇に見初められ声を掛けられたまま忘れ去られていたのを、八十年待ち続けたという老婆の名前に同じです。少女でありながら、老婆と同じ名前を持つことで、拒食症により痩せ細っている少女の外見的なイメージにも繋がっています。
この小説の読みどころは、何といっても文章そのものでしょうか。選考委員の川上未映子氏から「悪文」と評された(決して悪い意味ではありません)文章が凄い。
著者は当時、京都大学の医学部に在学していたようですが、人体というものの節々に至るまでを、どこか医学的な眼差しで捉えていて、その医学的な感覚が不思議と古典的な情緒ある文体に溶け込んで、一種の不気味な世界観を醸し出していると思います。例えば、こんな一文
ほとんど習慣化したこの動作で腹部の膨満感がひしひしと感じられ、同時に腹の中でとぐろを巻いている腸がゴーッという地の底からのような音を立てる、それはまるで疲れ切った狼の遠吠えなのだ。(『肉骨茶』より)
まるで、腹の中が狼の住みつく地下洞窟のようで、人体そのものがそれを有する大地ででもあるかのようです。また、逃亡した先が国内ではなく、マレーシアという異国の地であることも、小説全体に趣を加えていると思います。戯画的であるという指摘もあるようですが、仮にそうだとしても、言葉の連なり一つ一つに肉厚があり、エネルギーが漲っています。
赤猪子の、食に対する徹底した拒絶感も読みどころですが、赤猪子の心理に大きな影響を与える鉱一の登場場面や、赤猪子が友人のゾーイ―に無理やり肉骨茶を食べさせようとする辺りのシーンなど、よく創り込まれていると思います。たとえ戯画的であっても、ここまで力強く何かを書けるということは、才能だと思いました。