第163回芥川賞候補作品
『赤い砂を蹴る』
石原燃(著)
(『文學界』2020年6月号に掲載)
作品を読了後に、著者が太宰治の孫であることを知りました。母親は、太宰治の娘で作家の津島佑子さんです。
物語は、主人公が母親の死後、生前母親と親しかった日系ブラジル人の芽衣子さんと共に、ブラジルのサンパウロを訪れるというものです。
芽衣子さんと旅をしながら、時間軸を行ったり来たりしつつ母親との思い出に浸り、子供期に死んだ弟のことなども回想していきます。
また、芽衣子さんの亡くなった家族(夫や義母)について芽衣子さんから聞いた物語も、母親の思い出に絡まりながら綴られていきます。
生きている人間の物語でありながら、そこには避けて通れなかった家族や親しい人たちの死が、克明に、丁寧に、優しく語られていて、生者の中に息づいている死が意識されてきます。
愛する者たちの死を受け入れて生きていこうとする作者の確かな意志が、そこにはあったかと思います。
愛する者たちの死を受け入れるということは、残された者たちの宿命のようなものであり、死んだ者が生きた時間の肯定でもあるのでしょう。死者たちの生前の行いは、全てが美しいものではなく、時に周りを苦しめたり追い詰めたりもしているのですが、そうしたものを許し生きている芽衣子さんや主人公の心の機微が深く描かれていて、そこに作品の魅力を感じました。
赤い砂というのは、サンパウロの乾いた土地を象徴するもので、異国の地に根付いた日本人たちの生命力の象徴でもあったかと思います。様々な労苦と隣り合い、ままならない生活に翻弄されながらも、人間が生きているということの実感が、繊細でありながら生々しく描かれていたという印象でした。
小説の企みよりも、人間感情によりそった作品であろうかと思います。
冒頭で著者が太宰治の孫であると書きましたが、作風はだいぶ違います。画家として小説内に出てくる「息子をなくした母親像」は、実の母親である津島佑子をモデルに書かれているようですし、亡くなった息子(弟)というのも、現実の家族の記憶と重なるものなのだと想像します。上に記した読書感想は、こうした著者の生い立ちや家族に関する情報がないうちに読んだ素直な感想です。