第160回芥川賞候補作品 『居た場所』 高山羽根子(著) (河出書房新社)

 

残念ながら芥川賞は逃しましたが、なかなかに味わい深い、魅力的な作品だったと思います。

 

介護の実技実習留学のために日本にやってきた小翠(シャオツイ)。しっかり者の彼女と結婚した「私」は、ある時唐突に、昔住んでいた場所にもう一度行きたいと切り出される。

そこは、彼女が日本に実習留学でやって来る前に住んでいた場所で、彼女が初めて独り暮らしをした場所でもあります。

はっきりとした国名などは書かれていないのですが、漢字を使う文化圏にある地域の国のようです。

生まれ故郷でもないその場所に(生まれ故郷にすら結婚後一度しか帰っていないのに)、なぜ彼女が行きたいと突然言い出したのか、その本意のわからないままに、旅に同行することになる「私」なのでした。

物語はそんな夫である「私」の視点から描かれていて、小翠という一人の外国人妻の様々な側面が、愛情と客観的好奇心の入り混じった絶妙な距離感で観察・描写されていて、それが実にジワジワとくる魅力的な人物像を描き出していたと思います。

と同時に、見知らぬ国の見知らぬ町を、妻の存在と記憶だけを頼りに旅する夫の、不安と好奇心が交錯した様子など、実感を伴ったリアルさで伝わってきて、引き込まれるものがありました。

日本には存在しないらしいイタチみたいな動物の”タッタ”や、小翠が子供の頃に飲んだ味のしない奇妙な液体の正体など、この小説にはいくつか気になるアイテムが登場してきます。

これらに関する記述や小翠の独自の見解などの中に、やはりジワジワとくる面白さがありました。

今回(160回)の芥川賞の候補作の中では、どちらかというと地味な作品であるようにも見えますが、このジワジワとくる面白さは光るものがあります。

この世界における自分のルーツだったり、ルーツの中に残る見知らぬ、あるいは自分と繋がりのある何らかの命の生きた証や、存在の欠片だったり、ほんの一時期でも住んだ場所にでもそういうものが残り続けるということや、それを記憶しているということの奇妙さに、はたと気づかされるというような、そういう作品だったかと思います。