ポトスライムの舟 (講談社文庫)

第140回芥川賞受賞作品

『ポトスライムの舟』

津村記久子(著)

(講談社)

 

 

前職を上司による激しいモラハラが原因で退社したナガセ(現在29歳)は、現在は工場勤務で月給手取り13万8千円。

ある日、職場で世界一周旅行のポスターを見かけ、自分の年収(163万円)が、当該旅行の代金と同額なのに気づく。

働くことが『時間を金で売っているよう』だと感じながらも、労働者としての生活から抜け出せない現実を意識し、だたやり過ごすばかりだったナガセの頭に、ある一つの考えが浮かぶ。

29歳現在から30歳までの自分の一年間を、世界一周旅行に換えるということも可能なのだ、と。

世界一周旅行のことが頭から離れなくなったナガセは、一年分の給料を貯金するための努力をはじめるが……。

本作の初出は、雑誌『群像』の2008年11月号です。ちょうど10年前の作品だということを意識しながら読んでみると、なかなか興味深い所の多い作品だな、と感じます。

労働者の過酷な現実を描いたプロレタリア文学の様相をしていますが、主人公のナガセが置かれている10年前のアラサー女性たちの現実と、今現在の同じくアラサー女性たちが置かれている現実が、さほどに変化しているようには思えません。けれど、彼女たちの直面している様々な社会の歪みやそこから巻き起こるストレスの数々は、10年前に作者が小説という形で言語化した時点よりも、より明確にはっきりとした輪郭をもって、意識されるようになってきたのではないでしょうか。

ナガセをはじめ、本作の登場人物たちはみな女性で、中には大学卒業後すぐに結婚して専業主婦になったナガセの友人なども出てきて、つまり様々な立場で問題に直面している(あるいはそれを上手に回避している)女たちの現実が、作者の等身大的な目線から描かれています。

つい憤りたくなるような重苦しい現実を、傷つきながらもたくましく生きる女たちの物語、といってもよいでしょう。

貨幣経済の中で労働者として生きる主人公は、かつての職場でのモラハラというトラウマで損なわれた何ものかを内に秘めていて、それが具体的には表層化して描かれてはいなくても、小説の底流に意識されます。

現実を嘆いて終わるというものではなく、むしろ現実の日常の機微にこそ繊細な眼差しを向け続けている所が、本作の一番の魅力ではなかろうかと思います。

主人公が現実の社会に彼女なりの違和感を抱きながらも、しっかりと和解して生きていく生命力と、ポトスライムという植物やその命の源でもある水のイメージが繋がっているようでもあり、詩のような開放感を覚えます。