紙の月 (ハルキ文庫)

『紙の月』

角田光代(著)

(ハルキ文庫)

 

 

 

銀行の支店で契約社員として働く梅澤梨花は、真面目で顧客からの信頼も厚かった。

だが、顧客の孫である大学生の光太と出会ったころから、梨花の人生の歯車は狂いはじめる。

小さなきっかけから顧客のお金を横領するようになり、やがてその金額はふくらんでいき……。

宮沢りえさん主演で映画化された『紙の月』の、原作を読んでみました。

一億円を横領することになる女の転落劇を描いた長篇で、あまりにリアルすぎて読んでいる間中、ずっと胸が苦しかったです。

物語は、梨花の視点を中心に描きながらも、かつての友人や元恋人などの視点も差し挟みながら展開していて、より多角的な視点から、梨花という一人の女を見つめています。

それでいて、どうしてもこの女の核心部分が掴みにくくて、だから単純に貨幣経済の罠に嵌って壊れていくだけの女としては描かれていない、そういうところが非常に魅力的であると思いました。

また、梨花やその夫や恋人、かつての友人らの人生をくるめて描くことで、貨幣経済そのものの持つ不気味さ、のようなものが作中から浮かび上がっていたと思います。

これは本当に恐ろしいもので、誰もが当たり前に受け入れている社会の仕組みとそれを支えている”貨幣”というものが、ほんの少し視点をずらしてみたり、またそのルールから逸脱してみることで、得体の知れないものであるようにも、あるいはなんらの価値もないもであるかのようにも、見えてきてしまう。

他人のお金を横領し続けていた梨花が、最終的にはあらゆるお金が水流のように繋がっているかのように感じはじめる。つまり、どの銀行のどの名義の口座でも、誰でもが自由に引き出してきて使っていいものであるかのように、感じるようになっている、というところを読んだ時、鳥肌がたちました。

貨幣経済の中にいる人間からすれば、それはとんでもなく転倒した考えですが、その外側に立つものからすると、全く違う見え方があるんだろうということに、この境界線を乗り越えた梨花という女性の視点を通して、気づかされます。

「紙の月」というのは、”紙で作った偽物の月”というくらいの意味なのでしょう。

ここで言われている、偽物というのが、単純梨花とその人生のことを指すのではにように感じました。

それは平凡な日常の中で、少しずつ彼女を蝕んでいった小さな違和感の中にあったと思います。