新潮 2017年 12 月号

『神がかり』

佐藤友哉(著)

(『新潮』2017年12月号に掲載)

 

 

 

 かつての「」は、さまざまな新興宗教の団体をネットの匿名掲示板を使って、攻撃することに明け暮れていた。

友人が自殺して、友人の恋人だった女(現在は「僕」の妻)との間に子どもができると、ネットの書き込みは止め、週三日のアルバイトと育児だけの日々になった。

育児生活も六年目のある日、カルト的な宗教団体『こうしの会』の広報だという女が現れ、二十二年前のある予言のことを持ち出してきて……。

小説の主人公(「」)は、定職に就かず、週3のアルバイトと子育てを名目に、社会から遠ざかっていて、どこか孤独に甘んじているようなところがあります。

彼は元々、六歳の時点(二十二年前)で死んでいたかもしれない運命でしたが、少女(タカネちゃん)の神がかり的な力のせいか、死なずに生きのびました。

しかし、その代り子供が死ぬことになるという、誠に残酷な予言を少女は告げていたのでした。

いったんは奇跡的に救われたかのような命でしたが、父親になった時、今度は自分のせいで子供が死ぬかもしれないという恐ろしい予言の影が立ちはだかります。

彼は以前、新興宗教をネットで攻撃するということを、ひたすらにやっていましたが、これはどこかで予言の神がかり的な威力を否定しようとした結果だったというように読めます。

自分の命を救ったものなのだから、当然信じたい気持ちもあるはずですが、それを信じてしまうと子供の命が奪われてしまう。

この、矛盾した感情が無限ループの悪夢のように「僕」の人生を狂わせています。

この小説には、はじまったときからラストまで、ずっと何かが狂わせられている、という不穏さがあります。

さらに、狂っているのは「僕」だけでもなさそうです。

”自分が見たい現実だけをえらび、それ以外のすべてを排除する”ネット社会の病的な姿が、巷にあふれる新興宗教の偽善的な嘘くささと同列に扱われていて、救いようのない社会のジレンマというものが、ここに集約されていると思いました。

ラストは、このジレンマからくるフラストレーションを打ち砕くような強さはありませんが、やや唐突で乱暴な感じが、妙に良かっです。