すばる 2017年 03 月号 [雑誌]

『夢を泳ぐ少年』

木村紅美(著)

(『すばる』2017年3月号に掲載)

 

 

 

 独身の鏡子は、43歳の誕生日にかかってきた母親からの電話で、”ひとりだけぽつんと沈んで孤立しているような人”が、周りにいないかと聞かれる。

日ごろからボランディア活動に熱心な母親で、孤立した人を救うということを、鏡子にも促しているらしい。

鏡子には、思いつく人物が一人いた。

同じ職場の同僚で、同じ年の女、山村詩穂だった。

お河童の髪型で痩せていて、人を寄せ付けないように生きている感じの女。もてそうなのに、私服がいつもみすぼらしい。

なにか事情があるものと思い、さりげなくアプローチしてみる鏡子だった。

……が、詩穂が住む古びた貸家の一軒家に隠されていた秘密は、鏡子が想像していたものとは違った。

詩穂は、河童の少年と暮らしていて、自分が産んだ息子だという。そのことを、隠して生活していたのだ。

柳田國男『遠野物語』に出てくる河童に纏わる話が、作品のモチーフになっています。

河童というのは、古来、飢饉で子供を間引きしなければならなかったり、望まれぬ妊娠で堕胎するしかなかったりと、様々な大人側の事情で子供を死なせた親たちの作り上げてきた、幻想の生き物でもあったようです。

本作品に登場する二人の女は、それぞれの事情から、子供を持たない人生を歩むはずだったのですが、河童の少年との出会いが、彼女たちの人生を変えていきます。

リアルな現実の世界に河童の少年が現れるまで、物語の誘導があまりにも自然だったのが印象的でした。

リアルなのにどこか神話的で、女同志の友情や、温かい母子の交流だったりが描かれているのに、さらに深い流れがこの作品の奥にはあって、その水脈は、水子を河童に変化させた『遠野物語』の世界と繋がっています。

河童の子供たちが、女たちの秘めた願望を束の間だけ叶えて、静かに消えていく様が、正しく夢の感じそのものです。

作品は、二人の女たちの視点から描かれていますが、一人称ではなく三人称であることが、ラストを読み終わった後で、とても意味深く思われてきました。

一人称ではなく三人称にしたのは、作者が二人の女たちとの間にきちんとした距離を置き、そうすることで、読む人の立場や考え方の違いによって、さまざまな読解が許されるようにする目論みだったのではないか……と。

本作は、一見、優しいファンタジー小説のようでもありますが、これを河童である子供、つまり水子の立場から読んでみたらどうでしょう。
作品の様相が、だいぶ違って見えてきて、ますます”『遠野物語』めいているな”と感じられる気がしました。