『怪談』
小池真理子(著)
(集英社)
◆20年前に自殺した男友達の達彦が、最後に過ごしたペンションを訪ねる「私」。
達彦は女として「私」を求めたが、「私」は彼の愛に応えられなかった。 達彦の死後、様々な出来事に翻弄された「私」が、そのペンションで出会ったのは……。(『岬へ』) ◆長らく音信不通だった女友達の真由美が、体調を崩したと聞いて訪ねた嫁ぎ先の屋敷。その屋敷の大きな広い座敷に泊まった「私」が見たものは……。(『座敷』) 他(『幸福の家』『同居人』『カーディガン』『ぬばたまの』『還る』)全7篇からなる短篇集。 |
《感想》
題名からするとかなり怖そうですが、実際に読んでみると、題名からイメージする「怖さ」は、さほど感じませんでした。
「死」が一つのテーマになっていることは確かで、「あの世」と「この世」、「死者」と「生者」が、物語の中で幾度となく交差します。
不可思議な出来事が巻き起こったとしても、そこに確かな意味づけや答えになるものは明確に用意されず、理不尽な展開で謎を多く孕んだまま物語が閉じてしまう、というものもあり、「はて?」と首を傾げたくもなるようなお話もあります。
そんな「はて?」と首を傾げたくなる感覚の中に、この作品の本当の面白さが潜んでいるのだと思います。
「死」とは、恐怖の対象である前に、なんとも理不尽な現象です。
死んだあとどうなるのか、死後の世界は存在するのか、幽霊はいるか?
そんな素朴な疑問に、確かな答えなどどこにも存在していなくて、”絶対的にこうなんだ”という科学的な裏付けもないままに、誰もが必ず、一度は死にます。
そう、誰もそれから逃げられない。そういう理不尽なものなのです。
小池真理子さんが紡ぐ『怪談』は、そういう理不尽で得体の知れなさに満ちた世界のリアルを構築していて、そこに物言わぬ「死者」たちの気配が蠢きます。
「この世」の中に「あの世」を感じる瞬間があって、そこに境界線などないかのような感覚に落ちたとき、真にぞっとさせられました。しかしながら、それだけでなく、妙な心地よさも漂うのです。
そうか、今この作品を読んでいる「生者」である私は、確実なる死者予備軍。怖い怖い、と言いながら、自分だって「あの世」の部外者ではないのだった。
ふとそう気づかされる怪談噺の数々に、「怖い」よりむしろ、「癒された」という感覚を覚えました。