『わたしを離さないで』
カズオ・イシグロ(著)
/土屋政雄(訳)
(ハヤカワepi文庫)
1990年代末のイギリス。
31才のキャシー・Hは、介護人をはじめて、11年以上が経つ。 多くの「提供者」たちの介護人を務めてきた。 今年いっぱいで、介護人としての務めを終えるキャシーの胸中には、様々な思いが去来する。 生まれ育った施設ヘールシャムで、多くの仲間たちと過ごした日々、親友のルースやトミーへの想い……。 自らに待ち受けている「提供者」としての未来を受け入れながら、「思い出」と向かい合う時間。 |
『わたしを離さないで』は、この度、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんが、2005年に発表した長編小説です。
この作品は、世界中で多くの読者に愛されており、映画化もされていますし、最近日本でも、綾瀬はるかさん主演でドラマ化もされています。
19世紀末のイギリスを舞台に、臓器提供のためだけに生み出された”特別な存在”である人々の、苦悩や青春を描いていて、衝撃的な内容であるにも関わらず、情感的で繊細です。
「過去」と対峙する主人公の語りで、記憶の中を行きつ戻りつ物語は進みます。「記憶」へのアプローチの仕方が優しく、何とも言えない「郷愁」を掻き立てます。
親友だったルースと、トミーを巡って暗黙の裡に繰り広げられる恋愛劇も、実に繊細です。
創作には、日本人である両親の影響を強く受けていると、受賞後の会見でもおっしゃっていましたが、確かに人間関係の描写では、「日本的」な感覚が、大いに潜んでいると思います。
主人公を含め他の登場人物たちも、心の一番大事な「核」のような部分をオブラートにしながら、柔軟に関係を持続させていこうとする気配があり、こういうのは正に「日本的」なのではないかな、と感じます。少なくとも、日本に生まれ育った私には、ごくごく理解できる感覚です。
物語ですが、ヘールシャムを卒業後、ルースやトミーや他の施設からの卒業生たちとコテージで青春の束の間を過ごしたのち、介護人となったキャシーは、その後、「提供者」となったルースやトミーと再会します。
この再開後に待ち受けている三人のドラマが、とにかく切なくて、胸を打つ……どころか、切り裂かれる思いでした。
作中で、ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』という楽曲が出てきます。
これは、1956年にレコーディングされたLPレコードの楽曲の、カセットテープ版なのですが、作中で非常に重要な意味を持ちます。
その歌詞の中に、”オー、ベイビー、ベイビー……わたしを離さないで……”というのがあるのです。
実をいうとこれは、架空のミュージシャンの架空の楽曲のようなのですが、映画の中でも登場してきます。
けれど、作中であまりにも自然に取り扱われているため、本当に存在する楽曲のような気がして、これが創作であるというのは信じられないくらいです。
題名にもなっている”わたしを離さないで”という歌詞は、本来は恋人を想って囁かれる愛の言葉なのですが、キャシーはこれを、赤ん坊を抱きしめる母親の言葉だと解釈して年月を過ごします。そのことの根底にあるキャシーの孤独が切なくて、作品を読了した後でも、リフレインしてきて、何度も胸が締め付けらました。
ちなみに映画版ですが、2010年にマーク・ロマネク監督で製作された『わたしを離さないで』には、ルース役でキーラ・ナイトレが出演しています。多少映画用に内容の変更されているところもありますが、小説の繊細な世界観はそのまま受け継がれていて、かなりお勧めです。