『その八重垣を』
三輪太郎(著)
(『群像』2017年9月号掲載)
大学の非常勤講師を掛け持ちしながら、なんとか生計を立てている「私」は、元々は上代文学の研究者だった。
15年前、恩師から、『古事記』の神詠歌である出雲の八重垣の歌(『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を』)と、クゥム族(雲南省の少数民族)の”妻籠め”の風習との関りを教えられてから、大陸の奥地(雲南省)まで出向くようになった。 夏季休暇を利用して、今年も出かけた旅の帰路で、思わぬ出会いが待っていた。 |
研究者である主人公「私」の語りで紡がれる物語りは、小説というよりも、学術的な内容の濃いエッセイ、もしくは旅日記のようです。
雲南省まで一息に飛行機で行かずに、地理感覚を掴むため、途中は陸路や水路を使ってゆっくりと進んでいく「私」は、その旅路で、広くアジアの歴史や人々の生活、それらと日本との繋がりや、日本人のルーツについて、様々な思いを馳せます。
出雲の八重垣の神詠歌だけでなく、日本人の顔立ちの中にも、アジア各地の多様な民族の面影を見つけ、そこから導かれる歴史的な意味合いに、胸を熱くするのです。
そんな彼が、帰りの飛行機の中で出会うのは、「二二八事件」(1947年2月28日に台湾の台北市で起きた事件)をきっかけに、一族が離散することになったという背景を持つ、女性(恵美)です。
彼女の曾祖父は日本に渡り住み、以後、一家は医者の家系として列島に留まり続けていますが、いつか台湾に戻る日のことを夢見ています。
彼女(恵美)やその一族たちは、アジアという広大な地域の中で、騒乱や飢饉、様々な困難に遭遇するたび、難民として各地を追われ、転々と流れ動くことで生きのびてきた人々の象徴のようでもありますし、それはすなわち、日本人の祖先たちの姿とも、重なるものです。
帰国後、恵美と再会した「私」は、彼女の家に招かれ、そこで”妻籠め”を体験することになるのですが、その時彼は、自分がこれまで旅し続けてきたことの答えに、巡り合います。
「歴史」というのの受け止め方を、根本的に変えられた気がします。
客観的なテキストとしての「歴史」ではなく、人間の、自分自身の、生きた血肉として、それは捉えられるべきものなのだと。