『島と人類』
足立陽(著)
〔第38回すばる文学賞受賞作品〕
(集英社)
ヌーディストでもある人類学者の河鍋未來夫は、大学の講義中に全裸となり、停職処分に。
常軌を逸した彼のこの行動は、話題となり、マスコミに騒がれ、進退も危うい事態に。 だが未來夫には、もはや別の、更に驚くべき計画があった。 計画は、目下、彼の妻であるマリアにより、進められていた。 妻のマリアもまた、研究者でありヌーディストである。 彼女は新しい人類の未来の為に、ボノボの「アムニ」を連れて、島に移住し、種を超えた愛の形を模索していた。 その「島」を目指して、未來夫は仲間のヌーディストたちを引き連れ、旅立とうとしていた。 そこに、スクープの為に未來夫のマンションを張っていた新人の雑誌記者、原田も加わり、一路、「島」を目指した珍道中がはじまる。 |
【無邪気な「性」の明るさ】
この作品の魅力は、何といっても、「おおらかな性」の感覚だと思います。
登場人物のほとんどがヌーディストで、物語の展開中、彼らは大半の時間を全裸で過ごしています。のみならず、奔放な性行為さえ繰り返し、正しく”あられもない”状況がラストまで続きます。
しかし、そこに描かれる「性」は、「淫靡」とか「妖艶」とかいったものとは無縁で、生命そのものの持つ本来の動物的な感覚があるだけです。
そのような、むき出しの「性」を文字通り曝して(全裸であるわけですから)、日本列島を横断し、ワイワイ騒いでいる彼らの姿は、底知れない馬鹿々々しさと、妙な明るさに満ちています。
一見、おかしな状況なのに、生物の感覚としては、もしかすると彼らの方が正しいのかもしれない、とも思えて、なんだか笑ってしまいそうになります。
【「島」の持つ意味】
物語りが進行するにしたがって、彼らが目指している場所が、歴史的になにかと物議を醸している島――尖閣らしいということが明らかになります。
これはかなり衝撃的な展開ですが、すると、この「島」が持つ意味とは、一体どういうことなんだろう、と考えてしまいます。
何らかの政治的なメッセージがあるのかと思えば、そうでもなさそうです。
むしろ、人類をそのような政治的なしがらみを含めた、あらゆる仕来りや常識、拘束から、自由にする場所として、この「島」が選ばれたようです。
人間は、生物体系の中で分類されるところの「人類」となり、「島」は、市町村で区切られた市政の場ではなく、ただの「自然」となって、そこに存在するようになる。
そういう境地において、彼らが成そうとしていることもまた、なんらかの学術的な成果を保証するものではなく、むしろ既存の文明を、根底から崩壊させるかもしれない、危険な冒険です。
【彼らはどこへ向かっている?】
そして、その原動力というか、根拠となるのは、「愛」という、実にオーソドックスで観念的もの。
ただしそれは、人間社会の中だけに留まる「愛」ではなく、「種」の障壁をも超え得るような、野生味に満ちた「愛」、地球上の全生命を包み込む「愛」です。
その「愛」を求めて、未來夫とマリアが向かおうとしているのが、いったいどういう未来なのか、全く予測が出来なくて、けれどそこが不気味で、面白いと思いました。
ラストが、原田のレポートで閉じているのも、色々な思惑を引き寄せて良かったと思います。
ただ、「島」の描写が小説全体に対して少なかったことが、やや物足りない感じでした。
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