こんにちは『tori研』です。

今回は第6回目となります。前回から引き続き、群像新人文学賞研究(後半)にまいります。 (→前半はこちら)

後半は、第54回~第59回(2011年~2016年)の、群像新人文学賞をまとめてみました。

以下が受賞作の一覧です。※読書感想を個別に書いておりますのでそちらの方と合わせてお読みいただいて、参考にしていただければと思います。

第54回

(2011年)

 「美しい私の顔」

(中納直子) (→読書感想はこちら)

第55回

(2012年)

 「架空列車」

(岡本学) (→読書感想はこちら)

(優秀作)

「泡をたたき割る人魚は」

(片瀬チヲル)

 (優秀作)

「グッバイ、こおろぎ君。」

(藤崎和男)

第56回

(2013年)

 「鶏が鳴く」

(波多野陸) (→読書感想はこちら)

第57回

(2014年)

「吾輩ハ猫ニナル」

(横山悠太) (→読書感想はこちら)

第58回

(2015年)

 「十七八より」

(乗代雄介) (→読書感想はこちら)

 第59回

(2016年)

 「ジニのパズル」

(崔実) (→読書感想はこちら)

【第54回】

「美しい私の顔」中納直子)は、顔面神経痛を患った若い女性が、その内面世界や他者との関りまでも崩壊していく現実に直面する、という内容のお話で、個人的にはとても面白く読ませてもらいました。あまりにもリアルに描かれすぎているせいで、単なる「闘病記」の枠を出ないという意見もありましたし、小説の行きつく先にあるものが、芥川龍之介の「鼻」などに比べて既知の範囲を大きく出ないという長嶋有氏の鋭い指摘もありました(ただし、ラストにはうっすらと未知なものも示されているとフォローされています)。

けれど、絲山秋子氏は、

主人公以外の登場人物の行動が中途半端に終わる欠点も感じたが、それでも人物の個性と魅力は十分にあった。人物のネーミングセンスと血の通った会話文は特に評価に値する。(『群像』2011年6月号 選評より)

と述べられていて、確かに血の通ったリアル感の強い作品でした。一つのテーマだけに絞り込んで、それを丁寧かつ執拗に描いたことが、成功に繋がったのだとも思います。

【第55回】

この回は、当選作である「架空列車」(岡本学)の他に、優秀作が二作選ばれました。

優秀作、片瀬チヲルさんの「泡をたたき割る人魚は」は、幻想的な世界観と、部分的な描写力(主人公が人魚に変身を遂げる場面など)は、ある一定の水準を満たしていたのだと思います。個人的には、主人公の内面世界や対人関係の描かれ方など、幻想感溢れる作品だけに、この部分でのリアルをきちんと伝えて欲しかったです。

もう一作、優秀作の「グッバイ、こおろぎ君。」(藤崎和男)は、作者自身が当時74歳という年齢もあり、味のある老人小説としての評価だったかと思います。けれど、やはり当選作とするには、足りないものがあったのでしょう。けれど、優秀作ではありますが、70代の方が受賞されているというのは、注目に値すると思います。新人賞となると、年齢的なことを気にしてしまう方もいるかと思いますが、誰にでも、チャンスはあるのです!!

さて、当選作「架空列車」ですが、これは完全に「企み」の勝利だったかと思います。

まず、現実世界の中に出現する「リアルな架空」というモチーフがあり、これだけでも十分に面白いのですが、さらに小説中に「3.11」という事件を投入することで、前半と後半の空気をがらりと変えてしまいます。この「3.11」を小説に取り込むということ自体には賛否両論あるようですが、「企み」としては成功していると思います。

物凄くマニアックな思考回路を持った、物凄くマニアックな主人公の、まさにマニアックな生き方を描いたものですが、これくらいマニアックになると、様々な種類の小説を読み込んできた選考委員の目にも、新鮮に映ったのではないでしょうか。それが、何よりも受賞に繋がったのではないかと推測しました。

【第56回】

「鶏が鳴く」(波多野陸)。

深夜、ほぼ高校生二人による対話劇。というシュチュエーションが、ありそうでないという理由で面白かったのかもしれません。今時の高校生が、聖書の内容を熱く延々と議論し合うなど、ドフトエフスキーの小説ならあり得ても、現代小説ではありえない。たぶん、余りにもミスマッチ過ぎて、むしろそういう描き方を誰もしなかった。ところへ、これを堂々とやってのける作品が現れた、という新鮮さだったのではないでしょうか?

もちろん、作者がかなり古典作品を読み込んでいるからこそ、培われた文章力もあったと思います。

個人的にはどうしても無理が生じる人物設定の奇妙なアンバランス感を、小説全体が上手く消化しきれていなかった気がするのですが、選考委員の奥泉光氏と辻原登氏は、高くこの作品を評価されていました。

誰も書かない(書かれなかった)設定や人物造形、ここに目標を設定して描き上げる、というのは基本中の基本ですが、なにかしらミスマッチなもの同士の組み合わせ、というのは、まだまだ探せばいくらでもありそうな気がします。

【第57回】

「吾輩ハ猫ニナル」(横山悠太)。

新しい形のメタフィクション小説、と言ってもいいのではないでしょうか。

日本語と中国語との間にある障壁、または親和性を、日本人の父親と中国人の母親を持つ主人公の少年を介して、紐解いていくかのように展開されていきます。

日本人が普段あまり気にしていない日本語の奇妙さ(漢字と平仮名とカタカナという三種からなる言語であること)、同じ漢字を源流としながら、まったく違う成熟の仕方をした二つの言語があるということの不思議さ。この二つが紙面上に混合されてみると、何とも知れない言語感が生まれてくる感じ。

など、この作品には言語的な面白さが、ふんだんにあります。

まず、「日本語を学ぶ中国人を読者に想定した小説」というコンセプトからして面白いのですが、全体的に飄々とした感じが漂っていて、夏目漱石のオマージュでもあるこの作品のよい持ち味にもなっていると思います。

極めつけはラストの馬鹿々々しさですが、秋葉原のメイドカフェで巻き起こる顛末は、(選考委員の青山七恵氏を混乱に陥れてしまうほどの)インパクトがありました。突き抜けた馬鹿々々しさというものは文学の一端に触れ得る、ということでしょうか。

選評では、青山七恵氏以外の男性陣――阿部和重氏、安藤礼二氏、奥泉光氏、辻原登氏には非常に高評価でした。

(近年、メタフィクション小説への期待が、男性作家を中心に高まってきてきていると感じるのは、私だけでしょうか?)

【第58回】

この回以降、現選考委員のメンバーと全く同じ選考委員ですので、敢えて情報として記しておきます。

(ちなみに、メンバーは青山七恵氏、高橋源一郎氏、多和田葉子氏、辻原登氏、野崎歓氏です。)

「十七八より」(乗代雄介)。

選考委員の多和田葉子氏は、「言語を豊かに繰り出している」という言葉で、この作品を評価されました。文体そのものが持っている不思議な言語感が、ほとんどの選考委員には高評価でした。唯一、難色を示した青山七恵氏も、この作品を完全に否定することは出来なかったようです。

この作品の魅力は、文章へのあくなき探求心にあったようです。

作者が小説家を志したのは、『のぼるくんたち』という漫画の世界観に心打たれたことがきっかけだったようで、本来は言葉で表しがたいような感覚的な何かを、敢えて言葉に置き換えようとした試みがあったのではないでしょうか。そうした試行錯誤の中で、サリンジャーやカフカといった作家から吸収し投影させた世界を構築したのだと思います。

まだ不完全な部分もあると感じるのですが、ただ、これまで言語化されなかったものを、新しく小説として構築しようという意気込みは感じました。

ただ読みやすいだけの、ただ分かりやすいだけの、ただ完成度が高いだけの、小説ではないもの、を、選考委員たちは待ちわびているようです。

 

【第59回】

「ジニのパズル」(崔実)。

惜しくも受賞は逃しましたが、第155回芥川賞の候補にもなった話題の作品です。

芥川賞の選考現場では、文章の稚拙さ(粗さ)が指摘された結果ですが、群像新人賞の現場では、満場一致で受賞が決まった作品でした(青山七恵さんは、一部文章の甘さをきちんと指摘されてましたが)。

特に、辻原登氏の推しようは強烈で、選評の全文を「ジニのパズル」だけに割いて、他の最終候補作品には一切触れないという、熱の入りようでした。

この作品は、非常に特殊な書き物であることは間違いなくて、日本、韓国、北朝鮮、という微妙な緊張関係にある状況を、一人の少女の視点から、まっすぐに捉え、描いています。

普通ならどこかで適当に濁して逃げてしまいそうな場面に、敢えて筆を入れる、という「勇気」。

作家はどこまで書きたいことから逃げずに、目を背けることもなく書き貫けるのかという書く上での「姿勢」に対しての賞だったのではないか、と、私個人は納得しています。そこに、文章の多少の粗さなど、問題ではなかったのかもしれません。

【まとめ】

選考委員が途中入れ替わるなどした影響もあるのかもしれませんが、前半のように分析がしずらい流れです。かろうじて感じられる一つの特徴として、文体そのものを評価されるという傾向もある(それが全てではありませんが)ということでしょうか。

「十七八より」が、最もその象徴的な作品ではないかと思います。

「鶏が鳴く」や「吾輩ハ猫ニナル」も、特徴ある独特な文体ですし、そこから醸されてくる雰囲気で選考委員の興味を惹いている、という気がしてなりません。

これらの作品に共通しているものがあるとすれば、古典作品の影響を大いに受けている、という印象でしょうか。

また、「ジニのパズル」は、芥川賞の選考現場では文章の稚拙さを指摘されましたが、群像新人賞の現場では、あまりその辺りの議論がなかった、というのも、一つの選考現場の特徴と捉えることは出来ないでしょうか。

群像新人賞が求めているものは、完璧な文章ではなくて(もちろん、完璧であるに越したことはありませんが)、もっと別のもの。もっと別のものとは何か?

……もちろん、それが何なのか、私自身もよく分かりません。(分かっていたら、とっくに受賞できてるでしょうし(;´・ω・))

前回が、「ジニのパズル」のように、選考委員の満場一致で決まるという結果だっただけに、今年はレベルが上がっている可能性もあります。(その逆というパターンもありますが)

泣いても笑っても、締切りは10月末ですので、それまで皆さん、最後の悪あがきをして、お互いにいい作品を応募しましょう!!

お忙しいなか、ここまでお付き合いいただいて、誠にありがとうございます。

少しでも、お役に立てる情報がありましたでしょうか?( ;∀;)

 

この『tori研』のシリーズは、今後も不定期的に続けていきたいと考えています。次回はいつになるか分かりませんが、またお目に書かれる日を楽しみにしています。

なお、読書感想は随時投稿していますので、ご興味がある方は時々覗いてみてください。

では、またそのうちにお会いしましょう(@^^)/~~~

 

※上記記事を書くにあたって、講談社様出版の雑誌『群像』2011年6月号、2012年6月号、2013年6月号、2014年6月号、2015年6月号、2016年6月号の群像新人文学賞における選評、および掲載された受賞作等を参考にさせて頂きました。