『楓橋夜泊』

藤代泉(著)

(『群像』2019年11月号に掲載)

 

棚卸しの作業中に骨折して入院することになった女性(「私」)が、病室の中で二十年前に旅した中国の記憶を呼び覚ましていくというもの。細部が素晴らしい。

けれど、全体を通して読んだ時、その構造の美しさにさらに惹かれます。

はじめは、現在(病室)と過去(二十年前、中国)の二重奏。

現在のパーツでは、同室になった高齢女性との交流があり、過去では、旅の道連れになった台湾人で放浪の旅を続けているハンさんという男性との交流があります。

「袖振り合うも多生の縁」という言葉が思い浮かんでくるような展開が、病室でも中国大陸の只中でも起こっていて、言葉では伝えきれないものを抱えた人間同士の切ないやり取りが描かれています。

特にハンさんとの、通じてるか通じてないかギリギリのところで、結局言葉では伝えきれてないのにどこか通じてしまっているような微妙な感情交換の描写は秀逸で、素晴らしいと思いました(実に繊細)。

小説が様相をガラリと変えるのは、別れた元夫が病室に見舞いにくる場面からでしょうか。

ここで、はじめて主人公の女性の抱えている真の根深い悲しみが明かされていくのですが、元夫と過ごした記憶という新たな時間点が加わって、三重奏になります。

それまで小説が捉えていた「旅」は、若さに任せて強行した一月余りにもなる中国旅行そのものだったのですが(ここではまだ平面的な意味での旅)、ここに来て人生そのものこそが大きな旅路(より立体的な旅)として捉えられてくるような転換があり、作品が一気に奥行きを広げます。この辺りになると、小説のはじまりの頃のような、過去と現在の単純な行ったり来たりではなくなり、より複雑な音色を奏でるように、三つの時間が交錯し出します。

この辺りの表現が実に自然で、まるで小説が生き物みたいに呼吸しているかのような感覚がしました。

ただ美しいだけの人間の情愛を描いていないこと、「言葉の壁」を通り越して、人間同士の分かり合えなさ、「本質的な壁」を描いていること、音楽のように(というより、ここでは題名にもなっているのですから、漢詩というリズムや感性なのでしょう)言葉が響き合い固有の残響として成り立っていることなど、評価する点が大いにある豊かな作品だと思いました。