第135回芥川賞候補作 『生きてるだけで、愛。』 本谷有希子(著)  (新潮文庫)

高校時代、なんとなく学校生活がかったるいという理由だけで、体中の毛を(まつげと鼻毛以外)剃ってしまったことがあるという、自意識の非常に強い寧子という25歳の女、の一人称語りで綴られた小説です。

寧子は飲み会で知り合った津奈木というあまりぱっとしない男と勢いだけで同棲をはじめるのですが、寧子がバイトを辞めてから鬱病を発症すると、無職の引きこもり状態となり、津奈木に頼りきり、自分では家事もろくにしないという状態になります。

そんな寧子に、どこまでも付き合ってくれようとする津奈木ですが、ただ彼は寧子に何の自己主張もしてきません。それが寧子には不満です。

寧子は、自分でも自覚している通り、「味の濃い」人間で、津奈木は逆に「味の薄い」人間です。寧子はすぐに周りと衝突し、その際に自分を誰よりも深く傷つけてしまうのですが、津奈木は自分という個を周囲から遠ざけ壁を作ることで、人としてのバランスをとっているような男です。そしてそれは、寧子に対しても同じで、寧子はそこが気に入らないのです。

津奈木に頼りきって自堕落に何もせず彼の部屋に居座り続ける寧子の前に、津奈木の元彼女が登場します。そしてこの元彼女は、強引に寧子を追い出そうとするのですが、この辺りの展開は、劇作家でもある作者の持ち味が出ているな、と思います。

さらに元彼女の勧めで働き出したイタリアンレストランではとても親切にしてもらうのですが、そこで体験する分かりやすいアットホーム感に、寧子という人間はほんの僅かですが違和感のようなものを感じてしまう感性の人で、そういう部分が浮き彫りにされます。

ようやく出来た居心地のいいはずの居場所なのに、だからこそ違和を感じていてもそこに馴染もうとするのに、結局馴染めきれずに全てをたたき壊して逃げてしまう寧子は、やはり狂気を帯びた人間のようであります。

けれど彼女は、ただ真剣に自分と向き合って生きているだけなのだというところに、この小説の言い難い悲しさと美しさ、そして誠実さがあると思いました。

ラストは津奈木との別れを匂わせていますが、その別れを予感させる場面で津奈木が放つ言葉の中に「こういう意味が分かんなくてきれいなものがまた見たいと思ったから」という表現が出てきて、「意味が分かんなくてきれいなもの」とはつまり寧子(その本質)を指すものに違いなく、だとしたらこれは紛れもなく津奈木の渾身の愛の告白なのです。

これに対して寧子は、葛飾北斎が富士山と向き合った一瞬のように、自分と向き合う五千分の一秒を覚えていてもらいたい、と叫びます。

心が痺れました。

これは、現代社会の生きづらさの中で生きているうちに、ものすごく心の捻れてしまった一対の男女の、純な恋愛を描いていると言えるのでしょう。

単なる恋愛小説にとどまってはいないところに、作品としての素晴らしさ、強度を感じました。