『蜜の静かに流れる場所』 黒川創(著)  (『新潮』2019年5月号に掲載)

大戦中、兵隊として満州に派遣され戦後はソ連軍の捕虜となった体験をする画家、言語聴覚士として画家の元に訪問介護で週2回訪れるシングルマザーの女性、彼女と大学時代に交際のあった通信社の記者、というのが主な登場人物です。

現在において、戦争中に日本人がした過ちの数々やそこに連なる様々な出来事の多くは、意識的にあるいは無意識的に闇に葬り去られてしまっているという感覚があります。

少なくとも、私たちの文化の中で、大戦によって過去、私たちが傷ついたという多くの記憶ほどには、それらは残されていないのではないかと。

本作では、戦時下のそんな私たち日本人の側の犯した「残酷」が一つのテーマになっていると思います。それは蜜蝋が混ぜ込まれた絵の具で描かれた画家の絵の中に、静かにそっと眠っています。

こういうものは、ちゃんと誰かが書き残しておかなければならないものだと思う一方で、そこに触れることの潜在的な怖さがあるのも事実です。

臭いものには蓋をして、恐ろしいものは蜜で封印してしまえば…というところなのでしょうか。

これを読むことによって、私たちは何かを感じとり、そして感じとったものの記憶は、残していかなければならないのだと思いました。