火花 (文春文庫)

第153回芥川賞受賞作品

『火花』

又吉直樹(著)

(文藝春秋)

 

 

売れないお笑い芸人である徳永は、中学時代からの友人と”スパークス”というコンビを結成していて、ある夜、熱海の花火大会の余興に呼ばれて漫才を披露する。そして、その同じ会場でやはり漫才を披露した”あほんだら”というコンビの神谷という男と出会う。

出会ったその夜に飲みにいった居酒屋で、徳永は神谷に”俺の伝記を作って欲しい”と頼まれる。

本作品は、芥川賞を受賞される前から話題になっていて、ずいぶん気になる作品でした。

受賞されて少したってから読ませていただいたのですが、読書感想としては書いていなかったので、改めて再読してみました。

初読みのときには、ずいぶんと落ち着いた文章を書かれるんだなという印象でした。

主人公である売れないお笑い芸人徳永の生真面目で自意識の強い感じが、書き手の性格そのものを反映しているようで、また同じお笑い芸人ということもあり、どうしても作中人物と作家を、重ねて読んでしまっていた感がありました。

再読してみて、やはり徳永という人物は、青臭いと言われても仕方ないほどに、どこか純な内面をもった人物であるな、と痛感しましたし、作者と切り離して読むことも困難であると思いました。

例えば、徳永という男はお笑い芸人なのに、下ネタが嫌いで、大勢が集まって飲むような場が苦手だったりしてなかなかに繊細なのですが、作者の又吉さんのイメージもこれに近いものがあります。

また、徳永が尊敬し師として仰ぐ先輩芸人神谷への気遣いや忠誠心は、純愛に近いレベルまで清らかで複雑であるように思えました。

芸人という世界は非常に特殊な世界で、普通の会社員のように「労働=賃金」という割り切った意識だけで仕事に執着していない側面があり、だからこそなにかしら純粋なものを秘めた若者の姿が描き出せるのだと思います。

徳永という男は真面目で純朴な人間ですが、ある程度は世の中の常識的なものにも敏感で、不器用そうに見えて意外と器用にいろんなものと折り合いをつけることのできる人物です。

その一方、徳永が師として心から才能を認めている男、神谷はそうではありません。

彼は、そうしようと思えば何事においても周到にできるだけの器を持っていながら、どうしてもできない人間です。

やがてそうした性格が足枷になって苦しむことになるのですが、そこで浮き彫りになる人生のほろ苦さのようなものは、徳永という繊細な眼差しを持つ人間のフィルター越しに描き出されます。

この、観察されるべき人物とそれを観察する眼差しとの関係性の構図は、さすがに文学作品を読み込んできただけの書き手であるな、と思います。

作中にでてくる「神谷の伝記」というのも、この構図をそのまま記号化したようなものなのだと捉えました。

再読してみて一番強く感じたことは、じわりじわりと後からやってくる、なんとも言えない静かなさざ波に似た感情です。それを「笑い」と言えばそうなのかもしれませんが、だとしても妙に苦い味のする、そして同時に甘いような気もする、変な味の感情です。