星の民のクリスマス

第25回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品

『星の民のクリスマス』

古谷田奈月(著)

(新潮社)

 

 

歴史小説家の父親が、4歳の娘へのクリスマスプレゼントに物語を書いて贈った。

娘は喜んで、その本は何年にもわたり、大切に読み続けられた。

ところが娘が10歳になったとき、天体観測に出かけたまま行方不明になる。

娘を探しに出かけた父親が、迷い込んだ場所は……

行方不明になった娘は、実は父親がつくった物語の世界に、自ら望んで迷い込んでいたのでした。

彼女の名前はズベン・エス・カマリ。てんびん座で最も明るい恒星から付けられた名前です。

父親が娘に贈った物語は、クリスマスの夜にプレゼントを配達するサンタクロースと二匹のトナカイ、それにキツツキの子が出てくる、とても可愛らしいものですが、カマリが(そしてその後には父親も)迷い込むのは、どうも現実的でシビアな世界です。サンタクロースはいなくて、二匹のトナカイも、称号を与えられ高等配達員という公職に就いた人間なのです。

それでもやはりそこは、父親がつくった物語から発展していった異世界に違いないようです。しかしあまりにもリアルなので、架空と現実の境界線が曖昧で、その曖昧さは、ある種の不気味さとして、小説の底流を漂います。

童話の持つ可愛らしさと、不気味さの併存。それがこの小説最大の魅力だろうと思いました。

物語に寓意を求めるなら、行方不明になった娘の生死を含め、さまざまな憶測や想像を駆り立てていく仕掛けもそここに散見されているのですが、どこかでその寓意性を物語の世界が拒絶しているというような気配もします。

つまり、物語の世界が、登場人物単位で自立した意識を発揮しているような手触りがして、そこにこの小説の息づかいを感じました。

これは、”物語が主役の物語”なんだ、とラストを読んでから強く確信しました。

物語が主役である物語では、想像主である作者は「影」となる他ないようです。

「影」の背景には、描かれていないもう一つの物語がきっとあるはずですが、ここではそちらが虚ろとなり、それが描かれるのは、ラスト一行を読んだ後の、読者の心の中なのです。