真夜中乙女戦争

『真夜中乙女戦争』

(著)

(KADOKAWA)

 

 

現役大学生の間で話題になっている、Fなる覆面作家による小説と聞いてから、本作を手に取りました。

プロフィールには、猫が好きでかつ猫アレルギーであることや、神戸出身であり現在は新宿に住んでいることや、11月生まれで夜行性である……などという個人特定ができないような情報だけが載っいて(まるでF自身が作中に取り込んでいるSNS上の人物みたいですね。実際そうらしいですけど)、まったく謎だらけな作者です。

読みだしてみて、最初に感じたことは、言葉に情熱があるという事でした。それは、ちょっと危険なことでもあると感じました。どちらかというと陰の方角に向かって花開く種類の情熱で、きっと若い書き手に違いない、という勝手な想像でラストまで読み通しました。

主人公の「私」は、自意識が強く、人付き合いが苦手で、世界の矛盾と自分自身の矛盾に苦しみながら青春を足掻き生きようとしている、といった感じの大学一年生男子。サークルで出会った女性に恋をしますが、彼は東京タワーにも人知れず想いを寄せています。

三島由紀夫の『金閣寺』と、銀林みのるの『鉄塔武蔵野線』が頭に浮かびました。

他にも、この作品にはどこかノスタルジーな気配があり、小説に限らず音楽や映画や人物に対するオマージュが散りばめられているという気がします(このオマージュは「乙女」という言葉にこそ、込められているのだとも)。

特に、映画に関しては、ストーリー上の重大要素中に、ある有名作品と酷似しているところがあり、作中で夜な夜な開かれる映画観賞会がそれを予告していたのかと、だいぶ終盤になって気が付きました。

「黒服」という、まったく浮世離れした登場人物が現れて、自意識で圧死寸前だった「私」を救世主のように連れ出して、やがて「真夜中乙女戦争」へと向かっていきます。

この作品には、三島の『金閣寺』の青年僧を追い詰めた狂気にも似た、破壊や破滅への渇望が窺えます。そこに刹那的な美を求めているという気配も、強くしました。

今現在の若者がこの作品のなにに共感を持つのか分かりませんが、時代の中に澱んで停滞した鬱屈があるのだろうと思います。この鬱屈から逃れる術も声を上げることも出来ないというジレンマが、マグマのように若者の心に溜まっていて、本作が彼らの代弁者となり言葉を噴き上げたことで、昇華されたものがあったのだろう、などとこれも勝手な想像を巡らせました。

個人的な感想として、私自身この小説に関しては、ラストよりも導入部から前半部にかけてこそ、強く惹かれるものを感じました。

そこには何かを破壊しようとするだけのために放たれるエネルギーに満ちた言葉があって、言葉がそんなことのために使われていいのかという気持ちもあるのですけれど、ただその純度だけで許されるということが小説にはあっていいのだと、そう思ったからです。