文學界2018年5月号

『送り火』

高橋弘希(著)

(『文學界』2018年5月号に掲載)

 

 

父親の転勤に伴い、東北地方の中学校に転校することになった

転校先の市立第三中学校は生徒数が少なく、クラスには以外には12人ほどの男女しかいない。

父親の仕事の関係で何度か転校を繰り返していたは、すぐにクラスに溶け込むが、教室で最初に知り合ったリーダー格のを中心に、いじめと暴力の構図が出来上がっていることに、気付きはじめて……。

『指の骨』で、第46回新潮新人賞を受賞してデビューされ、同作を含めて過去三度の芥川賞候補になった、高橋弘希さんの中篇小説です。

第39回野間文芸新人賞を受賞した『日曜日の人々(サンデー・ピープル)』では、従姉の自殺をきっかけに様々な心の問題を抱えた人々とサイトの集会を通じて交流する青年を描き、社会問題にもなっている「自殺」と、その当事者たちにより近い視点から向き合いました。

今回の作品では、閉ざされた社会における、いじめと暴力が描かれています。

高橋弘希さんの小説の特徴でもある落ち着いた繊細な文体で描かれた、東北の田舎の風景は素朴で美しく、地元少年たちと歩との、ちょっとした感覚のズレなども(例えば、東京と自分たちの暮らす東北を、典型的な都会と田舎像で対比している地元少年と歩の感覚は、微妙に違います)敏感に描きとっていて、隅々まで緊張感を保った作品だったと思います。

小説が進むほどに、いじめと暴力の実態は明確になり、それはある種の既視感として読まれます。

そう、誰もが知っている、いじめと、それに類似した現実。

作品の視点人物でもあるは、学業や身体能力などで特別に秀でているというわけではなく、ただ要領のいい、およらくは人に好かれるタイプの少年です。

いじめの対象になっているに同情を感じているようでもあるのですが、他の仲間の少年たちと同様、ただ傍観者としての立場を貫きます。

そこには、自分が何をしても暴力の根本を変えることができない、という端からの諦めがあり、保身があります。

作品終盤で、壮絶な暴力が描かれますが、その直後、何かが決定的に裏返ります。

いじめられていた少年の、反逆。

実は、このくだりに至るまでは、ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』が頭に浮かんでいました。

無人島という閉ざされた環境下に置かれた少年たちは、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』のような生活をはじめますが、やがて大人の世界と類似した暴力の構図が生まれて、殺し合いをはじめてしまう……なんとも絶望的なこの小説と共通した閉塞感を感じたのですが、ラストで変わりました。

稔の向けた刃先が、予想していなかった方向を指したからです。

この時、本当に裁かれていたものが何者だったのか、読者は知ることになります。そして、暴力を生み出している真の犯罪者について、思いを馳せることでしょう。

そこに切実な暴力への足掻きを感じました。それこそが『蠅の王』とは違うところだとも。

 

※以上が、私の読んだ解釈ですが、このラストに関する解釈は、読み手によって大きく変わってくるだろうと思われることも、追記しておきます。