ぐるぐるまわるすべり台 (文春文庫)

第26回野間文芸新人賞受賞作品

『ぐるぐるまわすべり台』

中村航(著)

(文藝春秋)

 

 

大学を自主退学した僕は、塾講師のバイトに専念することにする。

その傍ら、塾の教え子の名前を使い、バンドメンバー募集サイトで、メンバーを募集する。

集まったメンバー全員の初顔合わせで、それぞれが独自に練習してきたビートルズの「ヘルター・スケルター」をいきなり演奏し合い、お互いの音楽性を確かめ合おうということになる。

”へルター・スケルター”というのは、「狼狽」や「混乱」とか、「しっちゃかめっちゃかな様子」とかいうことを意味する言葉で、その原義は、「螺旋状のすべり台」つまり、本書の題名「ぐるぐるまわるすべり台」な訳です。

主人公の「」は、彼の分身のように現れる中浜という青年と同じように、数学に特別な造詣があり、けれどどこかで挫折してしまったような、そういう内面を持つ人物なのではないかな、と想像します。

ただ、想像するだけです。

なぜなら、作中での「僕」は、つねに世界の外側からこの世界の風景や成り行きを傍観している、あるいはなんらかの興味をもって視聴しているだけである姿勢を崩さずにいて、その内側にあるものを一切吐き出してはきません。

主体性がないというのではなく、見失った主体性を純粋に探し求めているかのような、そんな主人公の気配を感じます。

彼が傍観者でなくなるのは、この物語が終わったその後、教え子のヨシモクと共に、夕日が沈みきるのを眺め終わった後のことでしょう。

一見、低体温動物のように冷めた印象ですが、その奥にあるのは、「ヘルター・スケルター」の楽曲のように、熱く混乱した情熱なのではないでしょうか。

そんな若者像というのが、ぼんやりと意識されてくる作品だったように思います。