文學界2017年11月号

『バベルの褒賞』

砂川文次(著)

(『文學界』2017年11月号に掲載)

 

 

 

 区役所の行政文書課で働くKは、いつも利用している駅の名前が「乙駅」から「甲駅」に変わっていることに気が付く。

「甲駅」とは、彼が乗り込んだ駅名であり、そこから電車を十数分揺られてきて、降りた駅の様子はいつもの「乙駅」なのに、看板の駅名表示は「甲駅」なのだ。

妙な違和感は、その後も続く。

区役所に着き、午前中の仕事をして昼休憩に外出しようとしたKは、窓口職員ともめている男を見かける。タイミング悪く、この男と共に役所の建物を出ることになり、Kは男に話しかけられる。

元はKと同じ役人だったという男は、奇妙な話をした。

男は、Sという名前だったのに、異動になった先に登庁してみると、自分はAということになってしまったというのだ。

 

自分の名前が他人の名前に書き換えられて、本来あったはずの実態があやふやになる。いかにも不条理で、カフカや安部公房の作品を思い浮かべます。

実際、本作は安倍公房の『S・カルマ氏の犯罪』を下敷きに(少なくとも影響を受けて)書かれていると思われるのですが、この寓意の奥に秘められたものはなんでしょうか。

作品の中で起こってのは二つのことで、一つは、言語統一。

これはSによると、神様が人類に与えた褒賞なのだそうで、もう一つがこれに反抗する(組織的な?)一連の動きです。

それは、住人たちの名前をすり替えて、彼らをそれまで生活していた場所から追い出したり、あるいは”1”と”0”という数字による二進法だけで表記してしまうという奇妙なものです。

 

言葉とは(名前も含めて)、情報であり、記号であり、人や物や現象や、この世のあらゆるものを説明し、特定し、認識しうるために多く使われるものです。情報化社会である現代にあっては、それが人々の身分を保証してくれると同時に、社会の成り立ちを支えてもいます。

でも、それが本来の本質を覆い隠してしまっている要因だとしたら……。言葉が統一され、言葉による線引きが消えた世界とは、いったいいかなる世界なのでしょうか?

 

砂川文次さんは、『市街戦』第121回文學界新人賞を受賞して作家デビューされています。

この作品では、現代日本の平和な街中とリアルな行軍風景のギャップに圧倒されたりもしたのですが、この『市街戦』を書いた作家が、全くテイストの違った作品を書いてきたことに、今この時点では驚かされています。

今後もどういう作品を書かれるのか、興味深い所です。