双子は驢馬に跨がって

『双子は驢馬に跨がって』

金子薫(著)

(河出書房新社)

 

 

 

 記憶を失くした父と息子は、森の中の施設に監禁されていた。

彼らは待ち続けていた。

驢馬に乗った双子が、彼ら親子を救い出しに来てくれる時を……。

金子薫さんの作品との出会いは、デビュー作である『アルタッドに捧ぐ』(第51回文藝賞受賞作品)以来で、ちょっと懐かしかったです。

自分の書いた小説から……というより原稿用紙そのものから生まれてきたトカゲ(アルタッド)との生活を描いた『アルタッドに捧ぐ』は、幻想とリアル世界が境界線を失くした不思議な(どこか騙し絵のような)小説でした。

本作品も、何やら異次元的法則に支配されているかのように、物語が展開されていきます。

いったい、いつの時代で場所はどこなのか(日本なのか外国なのか、はたまた誰かの頭の中にある空想の国なのか)さえも分かりません。まるで、妙にリアルな夢の続きを読んでいるかのようです。

監禁されている親子の物語と、驢馬を連れて旅に出ることになる双子の物語が交互に展開していくのですが、どちらもリアルでありながら、同時に読者である私たちの住むリアル世界とは、根本的に何かが少しづつズレている、という気がします。

そもそも、親子が監禁されるに至った経緯が怪しいですし、なんの目的で監禁され続けているのかも不明なのです。そして、双子が旅をはじめた目的すらも、当初はあやふやなものだったようなところがあります。

ともすれば抽象に溶けていって、消えてしまいそうな儚さがあるのです。それはとても幻想的ですが、危ういという気がします。けれど、この危うさは、常に作品に潜むリアルと拮抗していて、物語を支え続けています。

本当に独特だし、不思議な世界が構築されているな、という印象です。

親子の世界と双子の世界は、やがて一つの手紙で繋がりますが、直接的な対面が成されぬままに、物語がさらに転がっていきます。

だから、もしかするとこの二つの世界は、手紙一枚でようやく一つに繋がっているかのように見えるけれど、別々の原理で稼働する別々の次元世界へとそのうち分かたれるか、そもそも初めから終わりまで、パラレルワールドを生きている者同士だという読み方もできるのでは、と想像を膨らませてみたりしました。

こういう空想を自由に掻き立てられるほどに、この作品の世界は滋味深く、豊穣なのだと思います。