新潮 2017年 11 月号

第49回新潮新人賞受賞作品

『蛇沼』

佐藤厚志(著)

(『新潮』2017年11月号に掲載)

 

 

東北の農村地帯で生まれ育った恭二は、幼いこから兄や父親との関係が悪く、高校を卒業後は実家の農業を継がずに、靴屋で働いている。

恭二には、子供の時に死に別れた女友達がいた。地元の実力者である大沼蒟蒻店の娘で、セイコといった。

恭二とセイコは、8年前、誘拐監禁事件に巻き込まれていて、セイコはこの事件の後で、ため池で溺死したのだった。

《地方で生きる若者の葛藤》というのが、この作品の大きなテーマの一つになっていたかと思います。

最近では、芥川賞を受賞した沼田真佑さんの『影裏』や、前回(第48回)の新潮新人賞受賞作である古川真人さんの『縫わんばならん』など、地方を舞台にした小説が、注目されてきているという気がします。

もちろん、地方を舞台にした名作は昔からありますし、中でも中上健次さんの作品などは、いまだに多くの現代作家たちに影響を与え続けています。そして、本作も(おそらくは)多分に影響を受けているのだろう、と想像します。

選評の中で、誤字が多かったという点や、物語構築の雑さが指摘されていましたが、それでも受賞された理由の一つとして、選考委員の方々の意見を総合しますと、本作には「小説らしさ」というものがちゃんと内蔵されていて、そこに作者の熱意も感じられた、ということだったように思えます。

例えば、鴻巣友季子さんの選評の言葉――

「蛇沼」は、誤字脱字、「てにをは」の不適切等が多かった。あまつさえ、作中人物の漢字変換を誤って、別人物と錯覚させる箇所まであり、一気呵成に書いたにせよ、通常、応募原稿としては許容しにくい。しかし「あれでもこれでもない」小説として見たとき、これはこの形でなければ文章として存在できないというひっ迫感を、わたしは本作だけに感じたので推した。(『新潮』2017年11月号 「選評」より)

大澤信亮さんの選評の言葉――

記述は陰鬱で生々しく、アパシーが漂っているが、暴力の中心に蒟蒻屋があるなど、端々に妙なおかしさもある。一読して「小説だ」と思ったのはこれだけだった。(同上より)

 

私個人の感想としては、主人公の暮らす地方の人々の人間関係や風景描写など、細かい描写力が生きていたと思います。

どうしても構図や流れとして「視感」を感じてしまうところも多かったのですが、「蛇沼」とその周辺の描写などには独創性もあって、作品の雰囲気づくりにも繋がっていますし、かなりな熱量を感じました。

一つだけ残念だったことがあって、それは幼友達であるセイコや、親友(であると思われる)寺息子の松井裕瞬との人間関係のリアルさが、やや微妙だったこと、です。

特にセイコとの関係は、物語が大きな暴力や悲哀をため込んでいく過程で、最も要になるところだと思えるので、ここに読み手の想像を掻き立てる、もう一段の強い情感の気配を感じたいところでした。

それでも、胸に強く書きたいものが眠っている、という作者の熱意が感じられた作品でした。

 

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