ファンタジスタ (集英社文庫)

『砂の惑星』

星野智幸(著)

(『ファンタジスタ』(集英社)に収録)

 

 

 

喜延(よしのぶ)は17歳の時、末期癌で亡くなった当時48歳の父親の遺体を、母や妹と共に、自宅の庭に火葬せずに埋めた。

それは、死んだら砂漠に埋めて、遺体を(砂漠化を食い止めるために)有効活用してほしい、という本人(父親)の意思を、最大限に叶えるためであった。警察沙汰になり、死体遺棄事件として立件されてしまうという結末になる(母親のみ刑を受けた)。

成人して新聞記者になった喜延は、所沢市の小学校で発生した、集団無差別殺人事件(給食にトリカブトなどの毒物が混入され、食べた生徒たちの中で、死亡者も出たというもの)の取材をし、事件の核心に迫る少女の証言を得ながらも、当たり障りのない記事をでっちあげて書いたために、周囲からは失望される。

そんな折、母親を亡くした彼は、都市近郊の森に住みつくホームレスたちのレポートを読んだことがきっかけで、トトロの森のモデルとして知られる、森とホームレスたちの取材をはじめる。

その森で、観客のない一人語りを演じる老人の姿を目撃して……。

(感想)

触れられるもの全てが砂粒になるという惑星のイメージが、地球の未来の姿を想像させます。

惑星規模の時空感覚で捉えられている人間は、実に儚く短命な有機体でしかなく、地球の成分の一部でしかありません。

それは、なんだかとても寂しくて虚しいことのようですが、主人公の喜延は、森と(肉体まで)一つになることで、この虚しさと戦っているようでもあります。偶然、森で聞いた老人の一人語りの物語が、彼の精神に少なからぬ影響を及ぼしているようなのも、不思議な巡りあわせです。

本作は、記録映像作家の岡村淳氏のビデオ作品『郷愁は夢のなかで』より着想を得ているそうで、これは、自分のオリジナルの浦島太郎の話を創作している、ブラジル移民の老人を追ったドキュメンタリーであるようです。

本作では、「ブラジル」ではなく「ドミニカ」とされていますが、自身の悲壮な人生を浦島太郎の物語に置き換えて作りなおした一人語りをする老人、という人物像は、重なるものがあります。

喜延の自然回帰(文字通り、肉体ごと森に帰って行く感じ)は、死んだ父親の影響があるようですが、このある種の輪廻転生観ともいうべき感覚と、奇妙な自殺願望を持ち行動する小学生たちの心の動きが、どのようにリンクして(あるいは対峙して)いるのか、私には難しく、分かりにくかったです。

”「人をやめて猫になりたかった」”ということを語りはじめた小学生たちの話を、もっと聞いてみたいと思いました。