岩塩の女王

『岩塩の女王』

諏訪哲史(著)

(新潮社)

 

 

 

”伝説の山の麗人、岩塩の女王”に逢うため、

青年ハインリッヒは山に登る。

これは、宇宙でもっとも硬い鉱物であるとされる伝説の小石(「オレイカルコス」)を、頭に埋め込まれた青年(ハインリッヒ)が、やがて透明で硬質な岩塩の中に永遠に真空密封されることを夢見て、岩塩の女王こそがこの妄想を可能にしてくれると信じ、彼女に邂逅せんと、山に出向き、そこで一夜の幻を見て下山する、という話です。

骨組みだけ語ると、なんとも味気ないですが、実際に読んでみると、不思議な文体の力に圧倒されます。一文が異常に長く、ともすれば、「悪文」ともいえる文です。

それは、主人公のハインリッヒ自身を悩ます問題でもあります。

つまり、ハインリッヒは、師によって頭に小石を埋め込まれる施術を受けた後から、

”舌と手の文法がそれぞれ反り返り、あくまでとっちらかった言葉しか話せずのけぞった誤文しか書けず、副文はいずこにも引き受けられず主文は霧のなかへ杳として見失われ、なかんずく自ら語り出したセンテンスにピリオドを打つふんぎりというものが容易につかぬたち”(『岩塩の女王』より抜粋)

になってしまった青年であり、本文は正しくそのような人物により書かれたとしか思われない様相を呈しているのに、そこをあえて三人称の視点から書かれている、というのも面白いところです。

そしてなによりも、この一見「悪文」に見える文章は、非常に繊細で美しいのです。芳醇な香りさえします。古文のようでもあり、和歌や現代詩のようでもあり、そのどれでもない、というまったく新しい言語の有り方をみせられているようです。

古代の自然科学と、神話や民話のようなおとぎ話めいた世界が交わり、この不思議な文章によってそれらは換言され、一つの宇宙を紡ぎだしているという感じです。

作中の言葉を引用すれば、”「謎の謎」でありまた「隠喩の隠喩」、その中に結晶化されたこの秘密” の、具現化へのアプローチであったのではないかな、などと想像します。

古典的な日本語の香りがするのも、この文体の特徴だろうと思います。

読みやすい現代的な日本語ではなく、あえて古典的な文体への懐古を試み、そこから新たなる文体の確立を目指した意欲作、といえるのではないでしょうか。