新潮 2017年 02 月号 [雑誌]

『秘密は花になる。』

舞城王太郎(著)

(『新潮』2017年2月号掲載)

 

 

 

 11歳(小5)の娘を持つ主人公のえり子(「」)は、ある日娘にかかってきたイタズラ電話(「大人のパンツ、穿いてる?」というもの)に、過剰に反応してしまう。

当の娘は気にしていないようなのに、母親である「私」は、娘の身を案じるあまり、犯人への嫌悪感でいっぱいになる。

その後も、娘に彼氏(14歳の)ができたことを知ると、そのことにも過剰な反応をしてしまい、次第に娘との関に亀裂が出来てしまい……。

《感想》

年頃の娘を持つ母親の視点から描かれている作品で、母と娘の抜き差しならない関係性が、浮き彫りにされていきます。

家族でありながら、衝突し合う母と娘。

そこにある感情は、女同志の嫉妬なのか、嫌悪感なのか、愛なのか、と主人公の「私」は考えつづけますが、自分自身でもなかなか答えが見つけられないまま、時が過ぎます。

娘が中学生になって、夫が転勤することになった時、娘だけが夫に付いていき、「私」はひとり残ります。離婚ではなく、別々に暮らすようになるのです。

「愛する」という感情が、その根本にあるものが見えないままに暴走して、自分の中で、また愛する対象者である娘の中で、マンモス化していく、という恐怖。

愛と憎しみが表裏一体の関係であるなら、母と娘は向かい合う鏡のように、お互いにお互いを映しあう関係です。

根本にあるものが自己への嫌悪だとすると、その嫌悪の情は、際限なくお互いを傷つけあってしまう……。

ラストで、「私」は、一つの気付きに到達しますが、この気づきは流動的なもので、時が経てば、また認識は覆されるかもしれない、ということに思い至りながらも、一時の安らぎを得ます。

家族というものは、他人よりも長い時間枠の中で共存する関係ですから、こうした感情や気づきの流動性も、頷けるところです。

理屈ではなく、頭では理解できないところで動く人間の感情の捉え方が実に見事で、娘を愛さずにはいられない母親の性(さが)というものを、今までにない角度から読めた作品でした。

題名が、なんとも素敵です。