愛のようだ

『愛のようだ』

 長嶋有(著)

 (リトル・モア)

 

 

 

 家の事情から、四十歳を過ぎて、免許を取得した戸倉

友人の須崎と須崎の恋人の琴美を乗せ、伊勢神宮へドライブに出かける。

彼らの旅には、ある願掛けをするという、特別な目的があった。

 

《懐かしくて、切ない空間》

主人公の戸倉は、だいぶ不器用に年を重ねてしまったために、素直な感情表現が出来なくなってしまった男です。

心では、友達の恋人である琴美に惹かれていながら、それを認めることさえできません。

その辺のもどかしい感覚を描いた本作は、長嶋有さんの作品では珍しいと思うのですが、紛れもなく純愛小説です。

(しかもかなり泣けるやつです)

といっても、惚れた腫れたのくだりが延々と続くようなことはなく(というか、ほとんどなく)、作中の重要な場面の多くが、車中です。戸倉を中心にした親しい友人や仕事仲間などが、どこかしらの目的地目指してドライブをする、というもの。

その車内でのふざけた(時に真面目な)ゆるい会話の中に、80年代から90年代の漫画やポップスが溢れだします。

まさか『キン肉マン』の主題歌で泣けるなんて、そんな経験をすることになるとは、この本を読むまで、考えてもみませんでした。

その他にも、『トラック野郎』や『北斗の拳』、奥田民生の『さすらい』、しるこサンド、くるまにポピー、『あの頃ペニー・レインと』……。

どれもほどよく懐かしくて、中年心をキュンとさせてくる、アイテム揃いです。

こういう懐かしいものを、ただ漫然と懐かしむのではなく、そこには「共有する」(あるいは「共有できない」)という感覚的な空間への誘導があるのだと思います。

同じ世代だと、作中の登場人物だけでなく、読者までも一体となって、今はなき時代へのシンパシーを共有できるわけです。

けれど、それだけにとどまりません。

例えば、世代が違うために、古き時代の様々な思い出を共有できない相手がいたとしても、なにかしら理解して近づこうとする、触れあいはあるのです。

また、仮に相手に通じなかったとして、「通じない」という空間が出現したら、そこには実にそこはかとない「哀愁」が漂ってきて、それはそれで、一つの美しい場面だと思います。

大人になり切れていない大人たちの、それでもやっぱり大人だな、と感じさせる、とても切ない一作でした。