真ん中の子どもたち

第157回芥川賞候補作品

『真ん中の子どもたち』

 温又柔(著)

(集英社)

 

 

日本人の父親と、台湾人の母親を持つ天原琴子(ミーミー)は、台湾で生まれて、3歳から日本に移り住んだ。

19歳の年、中国語の専門学校である漢語学院で学ぶために、家族と離れ、ひとり上海へ。

そこで巡り合った友人呉嘉玲(リンリン)や、龍舜哉と親交を深めながら、中国語を学ぶ。

しかし、学院で学ぶ中国語が、母親から受け継いできた台湾訛りの中国語とは違うということを指摘され、思い悩むことに……。

 

4歳の琴子は、世界には二つのことばがあると思っています。一つは、家の中で喋ることば(中国語)で、もう一つは家の外で話すことば(日本語)。

作者の温又柔さんも、琴子と同じように日本語、中国語、台湾語の飛び交う家庭に育ちました。両親は二人とも台湾人ですが、台北市に生まれて、3歳の時に日本に移り住んでいます。

主人公琴子が到達する「母語」への想いは、彼女自身が体験したことから導き出された、答えなのでしょう。

本作は日本語で書かれたものですが、読みなれた日本語の中に、読みなれない中国語や台湾語が、カタカナや漢字での表記で混じり、それだけで一種独特の世界が現れます。

普段、当たり前のように使っている日本語というものが、他の言語と並列で文章の中に投げ込まれてしまうことで、それまでとは違った視点で見えてきてしまう不思議さだったり、”そもそも「言語」ってなんなんだろう?”という素朴な疑問が自然と湧き上がってきたリ、世界の中で異国文化と共存して生きている「日本」を俯瞰しているような感覚がしてきたり……。

また、作品が中国と台湾の関係について触れる中で、歴史の選択がその後、それぞれの土地の人々の言語(母語)さえ変えてしまう可能性にも触れているところが、とても興味深いと感じました。

まるで植物が大地を繁殖していくみたいに、それぞれの言語もそれぞれの歴史の中でその生命活動の場を広げてきて、今現在の言語圏が確立し、なおかつ、今この瞬間も刻々とその営みが繰り返され続けているのだと思えば、なんとも壮大な感覚がします。(もちろん、その歴史の中には、とてもおぞましい出来事も含まれているはずなのですが)

言語は、人間に操られているだけでなく、ちゃんと生きているんだな、とそう思いました。

そして、その言語を教えるという仕事を職業として選んだ主人公の琴子の「真ん中」には、「愛」があります。

真ん中」というのは、日本、中国、台湾といったように、複数の国や言語の「真ん中」であり、この「真ん中」の環境の中で否応なく育った子どもたちを、(「アイノコ」という本来は蔑みを含む呼び方を)「愛の子」と呼び直すことで、作者はそこに愛を注ぎ込んでいます。

この「真ん中」の混沌の中に、「愛」があれば、いろんな膨らみがそこに生まれそうで、そういう明るさを感じさせてくれる作品でした。