昭和の犬 (幻冬舎文庫)

第150回直木賞受賞作品

『昭和の犬』

姫野カオルコ(著)

(幻冬舎)

 

 

昭和という時代に生まれた柏木イクの、幼少期から中年期までの物語。

理不尽なことで激しく怒り出す父親()と、成長した娘にブラジャーも買い与えようとしない奇妙な母親(優子)。不可解な存在である両親の元で暮らす生活の中には、常に犬がいて、時に猫がいた。

そして、両親から逃れるようにして、イクが東京に暮らすようになっても、やはり犬たちはいた。

49歳になり、父親が他界して、母親が特養に入所し、東京と故郷(滋賀)を往復する日々の中、イクは人生を振り返り、「自分はいい時代に生まれた」と思う。

昭和。

世の中が急速に豊かに膨らんでいった明るさの一方で、「戦後の陰り」がイクの生活の中に、時々顔を出します。父親の影響かあるようです。

父()の言動はおかしく、ある人間たちにの前ではとても朗らかに笑いもするのに、イクや母親(優子)の前では厳つい表情で、タイミングも理由も分からない所で、突然「割れる」(怒り出す)のです。

そうした不可思議な怒りの裏側に、彼がシベリアで体験した「戦争」の闇がほの見えるようです。

イクという少女は、とても多感で繊細です。

理不尽な父親の怒りに、恐れや不可思議さは抱いていますが、そこに刃向かったり、意地の悪い感情を抱くことはありません。

大人しく身構え、「怒り」が静まっていくまで、じっと耐え続けます。(こうした彼女の性格の中にも、どこか「犬」の要素がある気がします)

そんないじらしい少女の傍には、いつも個性的な(?)犬たち(猫も)がいて、その中にはイクに懐かないものもいますが、そっとイクに寄り添い、「痛み」を癒してくれるものもいます。

母親もまた、父親とは違うタイプの不可解さを有していて、その存在が、イクの心に重たい影を落とします。

両親の言動が、理解の範疇を超えていたために、彼らの元から逃れることばかり考えていた少女時代を経て、大学進学と共にイクは、東京に飛び出していきます。

そして何故か「貸間」という家主の家を間借りする住み方ばかり選んで、転々としますが、やはり犬たちが、イクの生活の傍にいます。

イクが「貸間」にこだわり続けたことにも、意味があったと思います。

親密すぎる家族や恋人との関係というのではなく、襖一枚隔てたくらいの適度な距離感。この関係性を、イクは常に大事にして生きているように見えます。

この程良い距離感は、書き手と主人公イクや、読者との間にも保たれていて、”ちょうど居心地の良い”という距離感なんだと思います。

常に淡々と冷静に物事を見つめているのに、何故か妙に温かい。ただし、過度な感情移入もなく、あくまでも、そこに襖一枚の距離感を保ち続ける。

これは、バランス感覚なんだと思いました。

訓練して身に付くものなのか、潜在的なものなのか分かりませんが、ほぼ半世紀近い時間の流れを、時に近づいたり遠のいたりしながら、パースペクテヴ(遠近法、遠近画、遠景)に振り返る、という手法の中で、書き手と主人公が絶妙な距離感を保ち続けるというのは、簡単なようで、けっこう難しいことなんだと思います。

私はそこに、昭和という時代の「哀愁」や、「奥ゆかしさ」を感じました。