こんにちは、『tori研』です。

ついに、近所の桜も散ってしまいました(*‘ω‘ *)

おまけに雨の日が続いて何となく憂鬱ですが、がんばって文学研究します!!(*ノωノ)

今回は、すばる文学賞 第38回~第40をいってみましょう!!!

以下が受賞作の一覧です。

第38回

(20014年)

『島と人類』

 足立陽

(→読書感想はこちら)

『みずうみのほうへ』

 上村亮平

(→読書感想はこちら)

第39回

(2015年)

 『温泉妖精』

 黒名ひろみ 

(→読書感想はこちら)

佳作

『地に満ちる』

 竹林美佳

(→読書感想はこちら)

第40回

(2016年)

 『そういう生き物』

 春見朔子

(→読書感想はこちら)

佳作

『えん』

 ふくだももこ

(→読書感想はこちら)

【第38回】

『島と人類』(足立陽)

ヌーディストでもある人類学者の男が、仲間のヌーディストと雑誌記者を引き連れて一路、「島」を目指す、というお話。

馬鹿々々しさと、開放的な「性」と「生」の感覚に満ちた、異質な作品だと思います。

必ずしも、選考委員全員の絶賛を受けた作品、という訳ではありません。

角田光代さんは、

この小説の魅力を私はとらえかねた。(『すばる』2014年11月号 選評より)

と言っていますし、江國香織さんは、作品をおもしろく読んだとしながらも、こうも述べられています。

「島と人類」に、小説の外側にある何かを信じて書いているような印象を私は持ち、そこが不満でした。一編の小説においては、その内側がすべてであってほしい。(同上より)

と。

一方、奥泉光さんは、小説の本質が”既存の何かではないもの”であるとし、

「いったいこれは何だ?」と思わず呟いてしまうようなものこそが真に良い小説であると自分は考える。(同上より)

とした上で、

今回の候補五作品のなかでは、受賞作となった「島と人類」がそうした無茶への志向を一番持っているといってよいだろう。(同上より)

としています。(ただし、そう言いつつも、一番に推したのはもう一つの受賞作の「みずうみのほうへ」なのですが……)

また高橋源一郎さん、堀江敏幸さんなどの評価も、割といいようでした。

これは個人的に感じたことですが、男性陣と女性陣とで、選考委員の印象や評価が違うような気がしました。(たまたまかも知れませんが……)

 

『みずうみのほうへ』(上村亮平)

 

「作品の完成度の高さ」を何よりも評価されたという印象です。

どういうことかというと、例えば、江國香織さんの選評での言葉

まず、ちゃんと小説に余白がある。時間軸をばらばらにする手際がいい。場所を含む多くの詳細が不明のまま、一つの世界をきちんと成立させている。作品世界に手ざわりがある。あっさりならべましたが、どれもかなり大変なことです。(同上より)

続いて、この作品を一番に推したという奥泉光さんの選評の言葉です。

これは複数の時間を交差させる方法や、丹念な描写など、近代小説が培ってきた技法を丁寧に積み重ねた作品で――(中略)―-少々大袈裟にいえば、終わりつつあるかもしれぬ近代小説の伝統を追体験し、小説なるものの輪郭を体感のなかで探ろうとする作者の姿勢を買った。(同上より)

つまり、伝統的な技法を踏襲した作品だと言っているわけですね。

これは、上で述べられていた、小説の本質が”既存の何かではないもの”とする自論に、真っ向から反するものです。

そのことを踏まえた上で、それでも奥泉さんは、この作品を推したわけです。

奥泉さんは、最後にこう締めくくっています。

一個の世界を作り出す技術と粘りを評価したいと考えました。(同上より)

新しさということよりも、培われた技術と、そこからでしか生まれ得ない「小説の世界」そのものが評価されたのだと思います。また、消えゆく近代小説への、感傷もあるのかもしれません。

確かに、不思議な叙情感漂う、幻想的な作品です。

 

『島と人類』と、『みずうみのほうへ』。この二作は、全く対極にあるような資質の作品、と言えるのではないでしょうか。

こういう作品が同時受賞というもの、何となく面白いですね。

 

【第39回】

『温泉妖精』(黒名ひろみ)

この作品は、自分の容姿にコンプレックスを持つが故に、カラーコンタクトを装着したり美容整形を繰り返すなどして外国人になりきり、温泉巡りをするという、一風変わった女が主人公の物語です。

温泉物が一時期、小説界で流行っていたようで、たまたまかもしれませんが、この作品が受賞した頃も、そのような傾向があったのかな、と想像します。(同時代、同じ情報や同じ環境下で生活していると、そんなこともありますよね)

他の温泉物の作品に関してはよく知りませんが、本作品に関しては、とても面白く読ませてもらいました。

「妖精」と付くからには、いかにもメルヘンチックな生き物でも登場してきそうですが、出てくるのは偏屈で見た目もむさくるしい感じの「中年男」だという「裏切り感」が、とても良かったです。

読みやすく、展開もスムーズで、途中からはかなり引き込まれて読みました。

プロの作家の目から見た、この作品を読み解いてみましょう。

まず、奥泉光さんの選評の言葉です。

―(略)―物語自体は地味、というか、まるでパッとしない話で、主人公は西洋人に変装しながら簡単に見破られてしまう整形女、表題の「温泉」は民家の庭の水道水風呂、「妖精」は偏屈なオッサン、という具合に、ことごとく中途半端なのであるが、そのいかにも貧相な舞台上で、貧相な人物たちが、しかしがぜん生気を得て動き出す。それは小説が求める逸脱の冒険を作者が誠実に引き受けているからで、物語ではなく、小説への作者の忠実さが魅力あるテクストを生み出したといってよいだろう。(『すばる』2015年11月号 選評より)

角田光代さんの言葉

作者が語り手の絵里と徹底的に距離を持っているのがいい。整形を施しカラーコンタクトをして外国人のふりをしている痛々しい女に、安易に救済を与えないところがいい。影と呼ばれるもと引きこもりの男の書きっぷりもみごとだ。こんなにもいやなやつなのに、読んでいるうちに魅力を感じてしまう。(同上より)

最後に、江國香織さんの言葉

小説をいちばん野放しにさせている「温泉妖精」に、私は魅力を感じました。自然発生的なエネルギーのあった小説だと思います。(同上より)

これはどういうことかな、と思いますが、つまり、無理に小説を頭の中で作り上げた形に押し込めて作ろうとせず、小説自体の流れや動きに、作者が従って書いている、ということなのかな、と感じます。

 

『地に満ちる』(竹林美佳)は、佳作ではありますが、活字として世に出したいという、編集部や選考委員の意向が強かったのだろうと思います。

不妊治療の現場で技師として働く女性が主人公で、特殊な作業風景を、詳細に描写している文章には、清冽な印象を持ちました。

角田光代さんは、この作品を一番に推していたようです。医療現場での場面が綿密に描かれているのに反して、主人公の暮らしぶりが浮遊しているようであり、

その具体と抽象を、うまく融和させて描いていると思った。(同上より)

と評しています。

 

【第40回】

『そういう生き物』(春見朔子)

自身の「性」や「感情」に違和を感じている二人の人物が主役で、交互の視点で展開されていく物語です。

「ジェンダ」ーを扱った作品ですが、自身の内面そのものへの違和ということを大きな問題として扱っていて、いわゆる「トランスジェンダー」の問題だけに終始していない、視点の広がりがあると思います。

二人の主人公に魅力があり、小説の中で「ちゃんと生きている」という印象です。その日常風景を淡々と追っただけの描写でも、妙に引き込む力を感じました。

選考委員の評価も高かったですが、角田光代さんは、作品がうまくまとまり過ぎている所に、少しばかり不満を持ったようです。(詳しくは読書感想をお読みください)

こういう言い方が的を得ているかどうか分かりませんが、行間に淡い透明感のようなものを感じました。こういうのは、若い一時代にしか書けないものではないかな、とも思えます。

 

『えん』(ふくだももこ)

これも佳作ですが、選考委員の評価を読んでも、ほとんど受賞作になっていてもおかしくはなかった作品だと思います。

また、性別を超えた愛の形を模索しているようなのが、受賞作の『そういう生き物』と近い気がしました。(こちらの方が、登場人物たちの世代が若いですが)

文章に安定感や力強さがもう少しあれば、受賞だったのかな、とも思います。

けれど、関西弁の会話文の自然なトーンはとても良かったですし、琴子という一風変わった不良少女を見つめる主人公の眼差しには、ぐっと秘めた感情の揺らめきがあると思いました。

登場人物たちの誰もが心の内側の核心(本音)を、どうしても言おうとしてしまわないところなどが、思春期のリアルな温度で伝わってきました。

 

【まとめ】

既存の小説の枠組みから、大きく解き放たれて自由に「書くことを楽しんでいる」という印象の『島と人類』が、受賞作に連なっているところに、すばる文学賞という賞の幅の広さを感じました。

こういう作品を読むと、まだまだ未開拓の大地がどこかにきっとあるはず、という妙な希望が湧いてくるからいいな、と思います。

個人的に一番引き込まれて読んだのは『温泉妖精』ですが、小説の技術力といったものを強く意識させられたのは、やはり『みずうみのほうで』という作品でした。この作品は、時間軸や空間を行ったり来たりして、常に作品全体が「揺れている」という印象で、掴みどころのない感覚がしました。これを、「歴代の作家たちが築きあげた技術力の踏襲」とするなら、いったいこれからはどんな小説を書いたらいいんだろう、と戸惑ってしまう気がします。

そんな中、第40回の受賞作である『そういう生き物』や、寡作の『えん』などは、もっと自由に、大らかな感覚で小説を捉えようとしているな、と感じます。

「技術力」とか「完成度」とか、そういう言葉や概念とは無縁の、もっと瑞々しい感情の渦巻く世界がそこにあって、ただそれを注意深く掬い取ろうとしている、というイメージ。

これは、ものすごく健気な感じがして、けれど、こういう風にすれば、何かしらの物語が自分にも書けるかもしれない、という可能性を教えられた気がしました。

 

以上、今回の研究は、ここまでです。みなさん、いかがだったでしょうか?

まだまだこれから先も、文学賞をとるための研究は続けていく所存ですが、シリーズとしては、しばらくお休みすることになると思います。(ネタが溜まれば、その都度、ご報告に上がります(‘ω’))

読書感想の投稿は、これからもどんどん続けていきますので、そちらの方でまたお目にかかれれば光栄です。

では、では、またの日に~(@^^)/~~~