すばる 2016年11月号[雑誌]

『えん』

ふくだももこ(著)

〔第40回すばる文学賞 佳作〕

(『すばる』2016年11月号掲載)

 

 日向町(京都と大阪の境目にある)に、暮らす主人公の「」()。

小学二年生の時に引っ越してきた、琴子とは、高校生になった今でも友達である。

琴子は、一風変わった個性の持ち主で、周りの少女たちとは、明らかに何かが違った。

「私」のことを、”ゆかり”ではなく”エン”と呼ぶのは(そしてその呼び方を許しているのは)、琴子だけ。

一方、独特な魅力のある琴子は、男子生徒たちを惹きつけて止まない。

しかし、恋人が出来てもすぐに終わってしまう。原因は、琴子の飽きっぽい性格で、付き合った相手の名前すら覚えていないこともある。

そんな琴子のことを、幼い日からずっと近くで見守ってきた「私」だったが、ある少年との出会いだけは、琴子にとって特別であるという予感があった。

それは、「ナリヒラくん」という、サッカー部に所属する生徒で、「私」のクラスメートの「岡田」の親友だった。

岡田が琴子のことを好きなことも知っている「私」は……。

佳作ではありますが、受賞作となった春見朔子さんの『そういう生き物』と比べても、遜色ない内容だと思います。(性別を超えた愛の形を描いている所など、この二作には共通点もあります)

【今時でもあり、懐かしくもある】

作者のふくだももこさんは、元々映画の世界で活躍していたようですが、1991年生まれと、若い世代です。

作品の舞台になる高校生活も、まだ体験として瑞々しくそこにある記憶を引き寄せて書いているのだろうと思います。

けれど、小学生の時代から背景をキチンと追いかけていて、高校生であっても、「人生」とか「生活」を背負った一人の人間として、それぞれの登場人物たちが書き分けられ、何故か今時の若者であるのに、”一昔、二昔前にだって、こういう青春はあったな、きっと”、と思わせる、妙な懐かしさと広がりがありました。

【人物造形、そして展開力】

確かに、青春ストーリーの定型の中にあると言われると、その通りなのかもしれません。

けれど、例えば「ナリヒラくん」という、どこか影のある少年の人物造形などは、とても良かったと思います。

ストーリーの展開と共に、影だった「ナリヒラくん」の家庭の事情(秘密)が明らかになっていくのですが、それによって「私」と「ナリヒラくん」と「琴子」の関係が微妙に歪んだり追い詰められたリして、それが目に見えない所で(つまり行間の中で)静かに揺れている感じが、良かった。

行間にあるものだから、掴みにくいもののはずなのに、映像として頭の中に立ち上げてみると、揺れているそれぞれの登場人物たちの感じが、ちゃんと伝わってくる。

映画でも小説でも、どちらでも成り立つ展開力がそこにあるという気がしました。

【苦くて、すっぱい】

けれど、やはり何といっても、一番の魅力は、琴子です。

琴子そのものというより、彼女のどこか不良っぽくて乱暴な言動を見つめる「エン」(「私」)の眼差しの気配。それがこの作品の全てではないかな、と感じました。

また、「私」の眼差しの優しさというか、柔らかさというか、人間らしさを感じる、とてもいい一文があります。

それは、「私」が「ナリヒラくん」を、自宅の夕食に招いて、一緒に唐揚げを食べていた場面です。

目があったナリヒラくんに悟られないよう、慌てて唐揚げにしぼったレモンのカスを吸う。苦い苦い苦いすっぱい苦いすっぱい。せわしない感情にきりきりとこめかみが痛んだ。(『えん』より抜粋)

なんでもないような、一文です。

こんな風に、なんでもないような一文に込めた感情の広がりが、この作品を組み立てているんだと思いました。

琴子が直接的に登場するわけではありませんが、この苦くてすっぱい感情の中には、きっと琴子のことも含まれている、そんな想像の余白まであります。

こういう心理的にも構造的にも多くのことを物語る一文を、本当にさらりと書いておいて、そのままそっとしておくところが、なんかいいな、とそう思いました。