トロンプルイユの星

『トロンプルイユの星』

米田夕歌里(著)

〔第34回すばる文学賞受賞作品〕

(集英社)

 小さなイベント会社で働く藤田サトミ(「わたし」)は、ある日、仕事中に大きな揺れを感じるが、そのことを話題にすると、職場の仲間たちは、なにも感じなかったと言う。

そんなはずはないと思うが、似たような経験に慣れていた「わたし」は、自分に問題があるのだと考えることにする。

だが、上司の久坂だけは、同様に揺れを感じたと話した。

その夜、自宅にいた「わたし」のもとに、久坂からの電話がかかる。

仕事の話かと思えば、どうやらそうではないらしい。

久坂は唐突に、自分は交差点を眺めるのが好きだと言い、気になっている交差点があるから、今度一緒に見に行かないかと誘われる。奇妙な誘いだったが、特に予定もなかったので、申し出を受けることに。

そのころから、「わたし」の周りでは、おかしな出来事が続くようになる。

机の引き出しに入れていたハッカ飴が消えたり、採用が決定していた新人のアルバイトの話をしても、誰もそのことを覚えていなかったり、企画書のファイルがなくなり探していると、その企画自体が最初からなかったことになっていたり、上司の一人が、先週したことと寸分も狂わない行動をとっていて、先週も同じことをしていたのが嘘のように、なかったことになっていたり……。

物や人や、あったはずの出来事が、「わたし」の日常から消えていく。

職場の人間に話すと、みなそんな話は知らないという。

おかしいのは、「わたし」なのか、周りの方なのか……。

 

作者の米田夕歌里さんは、「共感覚」の持ち主だそうで、これは、音に形を感じたり、文字に色を感じ(例えば、黒インキで印字されている文字にも、色彩を感じるという事らしいです)たり、形に味覚を感じたりする特殊な感覚のことだそうです。

受賞記念で高橋源一郎さんとの対談をまとめた記事を読んでいると、以前はこの「共感覚」を、直接小説に描こうとして、上手くいかなかったとのことです。

本作では、「共感覚」そのものは封印されていますが、”自分が見ている世界と、他人が見ている世界とのズレ”という感覚はしっかりと描かれていて、そこに気が付くことから、物語は展開していきます。

当たり前に過去から現在、そして未来へと続いているはずだと思っていた世界が、断片として意識され、今朝いた世界と今この瞬間の世界が、実は繋がっていないのかもしれないということを、やがて主人公の「わたし」は考えるようになります。

ここには、自分が見て感じて認識し、それらの情報から構築してきたはずの世界が、大きく覆されていくような危うさがあります。

SF的な面白さが仕組まれていて、伏線の張り方が巧妙だと思いました。

「トロンプルイユ」というのは、騙し絵というシュルレアリズムで用いられるの手法の一つで、トリックアートとも呼ばれるものです。

読んでいると、まるで騙し絵の中に自分が突き落とされていくような、そんな不思議な感覚がしました。