狭小邸宅 (集英社文庫)

『狭小邸宅』新庄耕(著)

〔第36回すばる文学賞受賞作品〕

(集英社)

 

主人公の松尾(「」)は、大学卒業時、特にやりたいこともなかったので、大した就職活動もせずにいて、結果、やはり特に思い入れのない業種である不動産屋に就職した。

家が売れない営業マンとして上司からは罵られ、時に暴力も振るわれる。週一日の休みも実質は仕事をしなければならないという過酷な労働条件で、同期たちの多くが辞めていく。

けれど、大卒で転職先も容易に見つかりそうだというのに、「僕」は、なぜかこの仕事を辞めることができない。

そんなある日の朝礼後、突然上司から他支店への異動を言い渡される。

事実上の戦力外通告。

嫌なら辞めろと言われ、それでも辞めない「僕」は、異動を受け入れる。

異動先である駒沢支店では、売れない新人として、さらに過去な毎日が。

だだ、配属された営業二課の豊川課長は、それまで「僕」が見てきた他のどの上司とも違った。

これは不動産屋に働く一人の青年の物語ですが、他の様々な職種の、いわゆる「ブラック企業」で働く、多くの現代日本の若者に置き換えることもできる作品だと思います。

不当な労働条件の中、特にこれといって夢や希望がある訳でない若者が、雇用契約という名のもとに、ひたすら労働者として搾取され続けます。奪われるのは、労働力そのものだけでなく、そこに費やす時間、強いては生活のすべて、人生そのものです。人間としての尊厳すら、給料と引き換えにされてしまうような、圧倒的な重圧感が、世界を支配しています。

この作品の面白いのは、主人公の「僕」は、いつでもその場所から自分の意志で抜け出せそうなのに、敢えてそれをしようとしない、絶対に、会社を辞めようとはしないところです。しかも、そんな「僕」は、不動産屋の仕事それ自体に、強い思い入れがある訳でもないのです。

”最悪な職場なのに、なぜか辞めない”というのは、一見不自然なようですが、実はリアルで、それは主人公に特に「やりたいこと」がないからです。

”これ”というものが特にない人間にとって、働くことはただ生活を支えるだけの手段でしかなく、それならば他のどの仕事をしても結局は虚しいだけ。今いる場所を去る理由も希薄になってきてしまうわけです。

それ以上に、次に行った場所でも今と同じか、それ以上の苦痛を覚えることになってしまわないとも限らないわけですし、そうなることが、実は一番恐いのです。

一度でも転職を考えたことがある人なら、この気持ちは理解できるのではないでしょうか。

小説の途中から、主人公が伝説の営業マンだった豊川課長と出会い、その指導を受けることにより、どんどん売り上げを伸ばしていく躍進劇があって、思わず引き込まれてしまう、展開です。

しかも、この成功の裏で、どんどん崩れていく”生活者としての「僕」”の姿を冷静に捉えていて、単なるサクセス・ストーリーに終わっていません。

成功して改めて見えてくる、”労働者としての「僕」”の、心の空洞を、しっかりと描いています。

このことで、現代社会の闇に潜む、普遍的な哀愁のようなものにまで辿り着いていて、読後感はあまり気持ちのいいものではありませんが、真実の叫びがそこにあったように感じました。