『俺俺』
星野智幸著
(第5回大江健三郎賞受賞作品)
(新潮社)
ある日、俺(永田均)は、マクドナルドの店内で隣り合って座った男の携帯電話を、盗むつもりもなく盗んで自宅に持ち帰ってしまった。
携帯電話の持ち主(大樹)の母親からの留守電メッセージを聞いた俺は、自分からかけてみることに。 ただ、相手を喜ばそうとして悪気もなくかけてみた電話だったが、いざ話し出してみると、大樹の「母」は、俺を大樹だと信じながらも何かを疑っているような気配がして、それを誤魔化そうとしているうちに、どんどん話はおかしな方向に向かい、いつの間にか俺は、オレオレ詐欺をしてしまう展開となる。 それから、俺は後悔したが、そのままこの一件を忘れてしまうことにして、通常の生活に戻る。 だが後日、大樹の「母」が、突然俺のアパートに来て、話はもっとおかしくなる。 「母」は、俺のことをすっかり大樹だと思い込んでいる様子だ。恐くなった俺は、自分の実家に行ってみる。 と、そこには俺ではない俺がいて、まるで俺であるかのように振舞っていた。 そして、俺ではない俺は、俺のまわりに増えていく。 |
1997年に『最後の吐息』で第34回文藝賞を受賞して作家デビューした星野智幸さんが、2011年に第5回大江健三郎賞を受賞した作品です。
星野智幸さんは、すばる文学賞や新潮新人賞、野間文芸新人賞など、多くの文学賞の選考委員歴もあり、過去に二回、芥川賞候補にもなりました。実力があり、また大変意欲的な中堅作家だという印象です。
本作『俺俺』は、社会問題にもなっている「オレオレ詐欺」を働いた「俺」が、いつの間にか本来の「俺」ではなく、なりすました相手の「俺」になってしまい、しかもその後どんどん「俺」が増殖してしまうという漫画のような話ですが、実力のある書き手が描くと、こんなにもリアルに展開できるのか、と圧倒されてしまいました。
特に、人間の記憶の曖昧さを使った伏線の張り方が巧妙で、作中人物たちの記憶が曖昧になるのと同じ感覚で、読んでるこちら側の記憶も不確かになるので、「俺」が別の「俺」になるとき、どこからすり替わったのか分からなくなるくらい自然にスライドしています。
こうした技巧的な上手さも読みどころですが、作品の中核にある「俺」、つまり「個」の心の問題に向き合った点も注目です。
集団意識が個性を否定し、会社組織の中で生き残るために他に同化することを求められ、同化しきれない異分子から落ちこぼれを見つけては、一丸となって攻撃し排除しようとする。そんな現代社会の風潮を、皮肉ったともいえる内容ではないでしょうか。
主人公の「俺」は、こうした社会で生まれ育ち、成人して社会人となり、会社の人間関係そのものに強烈なストレスを抱いています。そのことを意識しながらも、なんとか従って生きています。
けれど、ある時、ひょんなことから「オレオレ詐欺」に手を染め、それがきっかけで、世の中に「俺」以外の「俺」が存在することを知り、そこに心の平安を見だします。
他人は自分を窮屈にしますが、自分と全く同じ感性、同じ気持ちで生きている人間同士だったら、そんな人間だけで寄り添いあって生きていける社会が出来れば、きっと幸福な未来があるはずだ……と、夢想します。
けれど、街中に「俺」がどんどん増殖して、「俺」ばかりの社会になった時、突然「俺」は、「俺」であることがどういうことなのか、分からなくなります。
他人と自分とを隔ててきた境界が崩れ去った世界で、「俺」は「俺」を見失うのです。
ここまでの展開だけでも、十分に読み応えがあり、非常に面白かったですが、星野さんは、さらに物語を突き進んでいき、「俺」が「俺」を見失った世界から、もう一度「俺」を取り戻すまでの軌跡を描こうとします。
この粘り強い展開に、書くことに何かを込めようとする作家の息遣いを感じました。