寝相

「寝相」滝口悠生著

(新潮社)

 

 

竹春と孫のなつめは、今年の正月から二人で暮らしはじめた。

竹春は昔から家族をかえりみずに好き勝手生きてきたので、妻の柿江(なつめの祖母)は家を出て行き、娘の弥生(なつめの母、)とも仲が悪い。

20余年も一人で暮らしてきた竹春の胃がんが見つかり、手術することになっても、引き受けるつもりの人間がいなかった。

別れた柿江はもとより、弥生は弥生で夫との関係が悪く、近々離婚する予定で、それどころではない。

竹春には原郎という息子(弥生の弟)もいたが、父親に似て好き勝手な性分で頼りにならない。

困っていたところで、なつめが引き取ると言いだしたのだ。

これは、竹春やなつめを取り囲む家族(竹春の父の潔男や、竹春が幼いときに死んだ母親のカエ、なつめの恋人の美津夫なども含めた)を描く物語で、あまりいい関係だったとばかりは言えない一家の歴史が、綴られています。

となれば、どこかありふれた家族もののドラマが展開しそうですが、この作品の様相は少し違っています。

お互いに思い遣る気持ちと負の感情を同時に持ちながら、同じ時空を共存している「家族」という奇妙な生態系を、そっと覗き見ているような不思議な感覚がしてしまうのです。

この作品の中では、家族が主役ですが、家族の暮らす居住空間(家)そのものや、天井の木目ですら、その一員です。

特に大きな事件は起こりませんが、彼らが当たり前のように繰り広げる日々の生活の詳細が積み上がり、一つの塊として存在しているということが、何かの軌跡なんじゃないか、と思われてきます。

例えば、それまで一緒に暮らしたことのなかった竹春となつめの寝相が、そっくりであることなども、大きな繋がりの中の不思議です。

作品は三人称で書かれていますが、ある時はなつめの視点から、ある時は竹春の視点から、ある時は弥生の……というように、主体となる視点は定まってはおらず、これは滝口悠生という作家の特徴的な所でもあります。

このぐるぐると回っていく視点の流れが(意識の流れ、と言い換えてもいいと思いますが)複雑に絡まったり離れたりしながら、一つの作品世界を創りあげ、同時に、そこのある人間模様をも紡ぎあげていきます。

無意識下で繋がる人と人の関係性のようなものが、そこにあると思います。

それが家族の話ならば、その繋がり方(あるいは離れ方)は、よりリアルな意味を持って、立ち上がってきます。

だからこそ、この視点移動を含めた文体的な企みは、家族を描いたこの作品では、とても成功していると思います。