新潮 2015年 11 月号 [雑誌]

『恐竜たちは夏に祈る』

高橋有機子(著)

(第47回新潮新人賞受賞作)

(『新潮』2015年11月号掲載)

 幼いころから折り合いの悪かった継父(吉田)の介護をする衿子

継父は、衿子に一度も愛情を注ぐこともなく、高校にも行かせてくれなかった。

そのため、衿子は中卒で冷凍食品の工場で働いていたが、母親が蒸発し、継父が介護の必要な状態になったので、工場を辞めた。以降、継父の実の息子(建夫)夫婦から月々十万円を仕送りしてもらって生活している。

そこに建夫の娘(吉田の孫)である緋鞠(高校生)が転がり込んできて、一夏を共に過ごすことになる。

出だしから、衿子に冷たい態度の緋鞠だったが、二人の年の離れた女たちは、やがてそれぞれの秘密を打ち明け合い、心を通わせていく。

不当なまでに自分に無関心であり続けた継父を介護することになる、衿子という中年にさしかかった女の暗い造形がよく出来ていて、また、介護する場面の描写もリアルでした。

泥沼の底のような場所に、緋鞠というやや攻撃的な性格の人物を投入してくるところから始まっていて、これも物語りに読者をひきこむのに効果的だったと思います。

緋鞠の秘密というのが、学校での苛めというのが定型すぎる気もしますが、ありがちなリアルを積み上げていく作品であるなら、これは必然の範囲内だったように思います。

ただ、衿子の秘密である、祖父江さんという人物との思い出のくだりは、あまりにも出来過ぎているし、そこに題名にもなっている「恐竜」を付け足してしまうのは(センスの問題だとも思いますが)、これはいかがなものだろうかという気がします。

そもそも、「恐竜」というのは、鬱屈した場所に嵌まり込んだまま抜け出せなくなっていた二人(衿子と緋鞠)を象徴していると思われるわけで、そこにいかにもとってつけたように描かれた戯画的な印象の人物、祖父江さんを被せる必要はあったのかな……と。

少なくとも、もっと祖父江さんという人物の背景を、しっかりと描くかする必要はあった気がします。

また、互いの秘密を打ち明け合ったことで、急にハートフルな展開になってしまう衿子と緋鞠の関係も、やや不満でした。

ハートフルな展開が悪いというのではありません。

物語を、陰から陽へと転換していく力(あるいは意志)が、この作者の資質としてあると思います。そこをよりリアルに形成するためにも、二人は一度、大きく激突する必要があったのではないかと、個人的にはそう思います。

選評で最も厳しかったのは、中村文則さんで、以下は引用です。

緋鞠の存在は物語にとって都合が良すぎて、この人物設定で放火は不自然。祖父江も漫画ならいいが、子供と出かける時せめて自由になるお金は隠し持ってる方が小説としてのリアルに近づくのでは。ラストもホームドラマ風で、介護が復讐もありがちで、復讐はもう前提として本来ならその先を書かなければならない。(『新潮』2015年11月号 選評より)

かなり、手厳しいですね。

これに対して福田和也さんは、

――介護の現場を作品化したことで、一定の評価を得られたと云えるだろう。(同上より)

と好意的です。

星野智幸さんも、

マイナーな存在のマイナーな心を丁寧に描いていて、好感を持った。誰もが大きな流れにさらわれそうな時代環境にあって、その流れに侵食されていく心の中から、まだ自分である部分を繊細に繰り出し、言葉にしていく作業は、これからの文学にとってとても大切な行為である。(同上より)

としています。

確かに、本作はマイナーな立場に陥った登場人物たちの、心の問題をとりあつかった作品で、作者は技巧的な腕力でこの問題を制するのではなく、あくまでも誠実で素直な作者自身の心でこれに向き合っている、という印象でした。